*

今後の「生きること。」




 

木曜日の昼下がり。

しんしんと降り積もる外の雪を眺めながら、夕飯準備前の数時間にパソコンに向かって何気なくiTuneを立ち上げて。さて、今日は何を書こうか…なんて考えを巡らせながら、ランダムに選ばれた曲はエレカシの「風に吹かれて」。学生時代に好きになり、その後大人になるにつれ音楽以上の尊敬を抱いているエレカシの宮本さんの声と頭に焼き付いてる歌詞が流れたら、涙が止まらなくなった。

 

「メロンパン事件」以来、よくわからず壊れといて、でもよくわからず日常復帰した感じになってて。でも…やっぱり復帰してないんじゃないかっと。10月16日、信じられない思いで親父の、信じられない程安らかだった親父の死に顔を見た瞬間から、きっと僕はまだ戻れてこれてない。

 

どこかにぶちまけてしまいたかった、それこそ壁を殴るくらいの気持ちでいた込み上げてくる憤りとか悲しさとかを、その親父の安らかな顔を見た瞬間に、振り上げられなかった拳と一緒に、僕は握り潰しているんだろうと思う。まだ、今でも拳の中にそれは存在していて。あるいは僕は、握り続けていればいつかは消えると思っていたのかもしれないけど。握った拳から、まるで冷たい冬の外気が暖かい家の中に流れこんでくるのを止められない様に、僕の気持ちを冷ましていったんだ、きっと。

 

直ってもない。ましてや、メロンパンに壊されてなんていない。

まだ、まだ全然、俺は親父の死から立ち直れてないだけなんだろう。

 

 

「何を書こう」なんて数分前に考えていた事が信じられないくらいに、十本の指が勝手に動いてる。昔の鬱病以来、書く事で気持ちを整理させ、考えずに指先だけで文章を綴りそれを公開することで前に進んでこれた僕だから、今回もこうして前に進む事を許して貰えたらと思うのです。

 

 

地元を離れる前、煩雑な日々だったけど、会いたい人にはできるだけ会える様にしていて。僕が尊敬する方々にも、残念ながら全てとはいかなかったけれど、しっかり挨拶もできて。

 

その際、「やっぱり、お前(貴方)は強いよ。結構心配してたけど、お前(貴方)の顔見て安心した。」って言葉を頂いて。先輩からも後輩からも。当時は、母親を守るため、会社を守るため、そして僕のそれまでの全てを守るために「強くなければならなかった」んだと思うのです。その「強くなければならなかった」僕を見て、強いと言ってくれた方々の言葉に調子にのって、「へっへ、どんな状況でも冷静になんとか前に進めるぜ」なんて思っていた自分が恥ずかしい程、何も強くなかった。何も消化できてなんてなかった。あるいは、飲み込んですらなかったのかもしれない。口に入った現実を咀嚼するだけで、飲み込む事をひたすら拒否していたのかも。拒否し続けて数ヶ月、やっと飲み込んだらやっぱり消化できず、それで吐いちゃってるとしたら、やっぱり僕は強くない。強くなんてなれない。

 

 

 

**********************************************************************

 

 

三年前迄、嫌悪してた親父。最低だと思い続け、「あんな人間にはなるまい」と反面教師として全てに当てはめてきた生き方。お酒を基本的に飲まないのも、睡眠時間が長いと不安になるのも、何か生産的な事をしてないとイライラしだすのも、完璧を目指すのも、一番でありたいと思うのも、生き急いでいるように見えるのも、きっとその反面教師的な生き方を27年間続けてきたから。

 

少しでも親父と似た大人になるのが、嫌だった。そして、怖かった。40前後に見える男の人が怖かった。酔っていれば尚更。絶対にそんな薄汚い大人になんかなるかって思ってた。

僕は父親になんて絶対にならないって思ってた。母親が苦しんでいるのも知ってたから、結婚すら前向きじゃなかった。

 

 

それでも転機は誰にでも訪れるもので、親父が社長をしていた会社での僕の働きを見て、きっと親父も誰かに「頼る」事を覚えたのかもしれない。「伺いを立てて指示された事を実行させる」のではなく、「頼る」という事が、ずっとできない親父だった事を今更ながら思い出すのです。

 

僕自身もずっと結婚はしないだろうな、僕みたいな面倒な男と結婚する女性はいないだろうな…と思ってた所、縁とタイミングとベクトルとが全て交差して、マリナと結婚する事になって。あれだけ似るのが嫌だった親父に、旦那としての立ち位置を得る事で、何か一歩近づいた気がして。あるいは、近づいてしまった気がして。

 

 

2011年の震災で、新婚後一年も経過してないのに、被災地に入ったり仕事を進める為に半年以上も別居を許してくれたマリナも、種類は違うけど似た様な親子関係で苦しんだ末に心理学者になった子だから、14時間の時差を超えて話すSKYPEでの日々に、僕への親父へのヒントをくれてたりして。

 

あの瞬間。今でも信じられないのだけど、ふと頭のネジが緩んだ瞬間があったのです。

たったヒトツのネジが緩んだだけで、まるで機会仕掛けの時計みたいに、長針がぐるっと一回りして、短針がヒトツ進んで。「俺、親父を許せるかもしれない。」なんて思い始めた日があって。

 

 

その後、母親に、

「俺、親父を変えるよ。変えられる様に頑張るよ。自慢できる親父になんてならなくていい。でも普通に話ができて、頼る事ができて、約束を守って、一般的な人の仕事ができるくらいの親父に変えてあげたいんだ。」

という内容を伝えた事を覚えていて。

 

その言葉を聞いた母親は、

「まー(笑)それは無理じゃないかな…」

と、基本ぶっ飛んだ程ポジティブな母親でも無理って決めてかかってたけども。僕自身、当時に戻れるとしても自信があるとは言い切れない。でも、親父を変える事、少なくとも親父が変わりたいと思っているのであれば、その変わるきっかけを作るのは、僕の、息子としての役割だった気がするのです。

 

「親が子供を選ぶんじゃない。子供が親を選んでくるんだ。」

少々スピリチュアル的なお話になりますが、僕はこの言葉に不思議と納得していて。「他人を変える」事はほぼ無理。だから、状況を変えるためには自分が変わるしかないっていう自己啓発が広まっていて。それは事実で、でも唯一、子供という肉親だけが親を変化(進化)させる事ができるんだと思っています。それは、親が何歳になっても、子供がどれだけ優秀でも、あるいは平凡でも。

 

「親父を変えてあげられるのは僕か弟しかいない。そして近くにいて、親父と苦しい時間を過ごしたのも僕だ。だから俺が変えてみせるんだ。」

 

文章にしてしまうと、超ポジティブに聞こえたり傲慢にすら聞こえるかもしれないけど、日々土色の顔をしてカタチだけの出勤をしていた(本人は働いていたつもりだったけれど)親父を見て、ふと決意した、あの瞬間。

 

 

言葉で言う程、実際に「許す」という感情の修正作業は半端無く難しくて。

優しく話を聞いたり、やっちゃいけなかったことだけど、殴り合いの喧嘩もしちゃったりして。

 

希望を持って、翌日には絶望して。

絶望の闇から、ちょっとだけ光る親父の長所をみつけて。

長所を褒めて、調子に乗らせて。

調子にのった親父がお酒に酔って、僕がその金銭感覚とだらしなさを責めて。

責めた事は解決ならないと反省して、翌日には「心配してるんだぞ」という置き手紙をして。

置き手紙を読んだ父親から、「次はもう無い」っていう約束と希望を貰って。

その希望はまた、すぐに絶望にかわって。

 

それでもその繰り返しの中から生まれる「会話」で、少しずつ「許す」とはどういうことがわかった気がして。

 

 

2010年初頭に親父と話し込んだ、10年間計画(親父が定年退職するであろう65歳迄の計画)が、毎年現実味を帯びていって、毎年4月と10月の高山祭りの前後にその話をするのが、僕らの楽しみになっていて。

 

結局、親父が最後に見れなかった2013年の10月の祭りの前、気持ち的にも体力的にも弱っていた親父と僕は、一日数時間も話す様に。あれだけ嫌いだった親父。話す事さえ拒否していた親父。いつか復讐してやるとすら思っていた親父。見下し、卑下し、軽蔑し、絶対に同じ道は辿らないと、そのマイナス思考をエネルギーにしていたくらいの親父。

 

まさか、会社の話以外で、しかも自宅で一緒に夕飯を食べる日がくるなんて…。僕の幼少期、飲み歩いていた親父とは、今僕は思い出せないくらい機会がなかった、そんな家族の当たり前の夕飯の会話を、今回は親父が求めていたのかな…と。

 

親父のニーズと、僕の心の準備が偶然に一致していて。

母親が信じられずに目を丸くする程、ずーっと話をして、しかも話したくない事も、ここには書けないような事も、沢山、たくさん話をして。ぶっちゃけて、そうする事で親父への「許せる気持ち」が僕の中で育っていって。

 

 

やっと「許せた」と思い、「頑張ろう」と思った後、親父から「頑張れよ」と笑顔で肩を叩かれたのが最後の瞬間になってしまって。僕の肩なんて、叩いた事、今迄30年間一度も無かったのに…。

 

なんで…。なんでだよ。

 

**********************************************************************

 

 

まだここには書くべきではないこと、書いちゃいけないこともあります。

それでも、やっぱり僕は書ける範囲で、今の気持ちを言葉にしたかったんだと思うのです。限られた能力で、全てが表現できているとは思わないけれど、それでも親父への感謝を言葉にしたかった。

 

本当だったら、直接伝えるべきなのだけど。

俺、親父に直接「ありがとう」って伝えられてないのです。一生の後悔です。

 

 

親父の死に顔を見た母親が、

「こんなに奇麗なあの人を見た事がない」

って呟いてました。死に顔なのに、です。ずっと、30年間同じ屋根の下で生活したパートナーの言葉。その後の母親との長い長い三十五日でずーっと話をしていくなかで、

「きっと淳は、お父さんを変えられたんだよ。あの安らかな顔は、今でも信じられないくらいだもん。」

という言葉に、果たしきれなかった息子としての責任の荷が少しは楽になった気はしています。

 

それでも、もっと一緒に未来を過ごしたかった…んだろうなと。今でこそ思う感情なのかもしれません。それでも、やっぱり早すぎる死でした。

 

アメリカに連れてきてやりたかった。

孫の顔を見せてやりたかった。

安心を感じさせてやりたかった。

 

 

全てが終わった後、不思議と清々しい気持ちになったのを覚えています。

今みたいな涙が流れ、鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、頭の奥に痛みを感じる状況じゃなくて、すーっと何かが抜けていくような。その感覚が、もしかしたら「感謝」が作り出せるものなのかもしれないな…と。

 

2013年は激動の一年でした。

というか2010年以降、激動しまくってます。

 

「感謝」は大事だと言葉では書きながら、実際に「感謝日記」なんていうブログをアメブロでずっとやっておきながら、きっと僕は「感謝ってなんだろう」って思い続けていたんだと思うのです。感謝がわからないから、感謝について書き続ける事で何かカタチになるんじゃないかって。

 

今でも正直、「感謝」が何かはまったくわかってないです。

エゴも強いし、「安心感」を芯にする性格なので、優越感もお金も大切です。人並みにポカするし、嫉妬は強いし、あ、あと無職だし(笑)

 

 

それでも、今回の親父の急逝を通して、「生かされていること」を強く感じたのです。当たり前だけど、親父がいなかったら僕は存在してません。生物学的にも、そして今の僕を作る全ての要素は、親父と母親からきてます。全てを知ってる人から言わせると、僕と弟の今は「奇跡」だっていうくらいの修羅場は通ってきていますが。

 

そう。奇跡という日々があったんです。

上に書いた、希望と絶望の繰り返し。言葉にすると永遠と続いちゃう様な当たり前の毎日が繰り返される事によって、その奇跡が生まれ続けていたんだと思うのです。奇跡とは、宝くじが当たるとかじゃなくて、今、こうして「生かされている」ということ。

 

「生きること。」をテーマにして文章を書く事もありました。

でも今後は、「生かされていること」になるんだろうなって思います。生きる事なんて、今の僕は烏滸がましくて書けないです。それくらい、親父の全てに感謝する様になりました。

 

本当不思議です。繰り返すけれど、あれだけ嫌ってたのに。

「価値観」が358度くらい変わった気がします。180度じゃないです。違う方向は向いてないので。同じ方向は向いているのだけど、全く違う風景に見える…そんな感じです。まだ巧く言葉にできなくて、そんな曖昧な喩えにしかならないのですが。

 

これだけ書いても、まだ続けられる。やっぱり全く立ち直れてないんだろうな…と思うのです。文章だけじゃなくて、誰かと話す必要もあるのかも…と思う事もあるのですが、と同時に、ずーっと書く事で心を落ち着かせてきたのは事実なので、このブログで吐き出し続けられたらと思います。読者の皆様にお付き合い頂く様で恐縮ですが…。

 

まだ、握り潰そうとした感情を受け止められる程強くないです。

そして、その感情を無視できる程、図太くもないです。

 

苦しみながら、よくわからない感情の波に飲まれながら、少し溺れて水を飲みながらも、なんとか足掻いて泳ぎ方を無理矢理にでも覚えていくしかないんだろうなと思っています。溺れないためには力を抜く事が一番大切だっていう事もしっかりと自分に言い聞かせながら。

 

長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

【編集後記】

 

なんでメロンパンだったんだろう…。

「あんぱん」だったら、3年前に亡くなった爺ちゃんの大好物だったから、何かヒントがある気もするのだけど。親父、メロンパン好きだったのかな。バタークリームが好きだった事くらいしか思い出せず。

 

顔面から出る全ての液体を振りまきながら、だだだっとパソコンのキーボードを叩いて上記を書いたのですが、流石に書いちゃダメだろう…的な事も書いちゃってたので、後々編集し直しました。それでも、グレーな所はあるので、「淳、そりゃマズいだろ」って思われる箇所があったら連絡頂けると嬉しいです。僕なりに判断して加筆訂正します。そういうご意見は凄くありがたいです。

 

 

僕がどうなるのか、本当にわかりません。

苦しいし、ふと泣けてくるし、悔しいし。でも、乗り越えられるだけの壁なんだろうと思うのです。今の状況も、そして感情も。今迄飲み込めてきたんだから、今回ももっかい飲み込めるはず。いいんです。牛みたいに反芻したって。それくらい消化しにくいんだし。

 

でも「生かされている」と感じられると、少しは楽になるのかな…と。実際、親父への感謝は、ふと思った時に「ありがとう」と思えるだけ自然なものになってきてますし。

 

この件については、もっともっと書きたいと思うので、また時間を見つけて乱筆致します(笑)コメント頂けると、きっとそのコメントへの返信が、次の乱筆のテーマになると思います(笑)

 

 

 

っもう。まだ頭痛いじゃんよー。

 

 

Sponsored Link

+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +
ブログランキングに参加しています!
クリック頂けると嬉しいです。明日も頑張れます。

育児 ブログランキングへ
+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +
= = = = = = = = = = = = = = = = = = =
*コメントを書いた後、エラーになる事が確認されています。もしエラーになった場合は、CONTACTから直接メッセージを頂けますと助かります。
*Sometimes, this blog blocks your comment and display an error message. In that case, please send me your comment by filling the Contacts Page above and clicking the button showing "送信". Thank you !
= = = = = = = = = = = = = = = = = = =

関連記事

震災から3年 – 3月11日 – Again。

      未曾有の大震災から、3年。 もう…3年が過ぎた

記事を読む

働かない修行

  去年の10月から始まった、先の予測できないローラーコースター。なんとなく行く道は見え

記事を読む

Comment

  1. 山田 より:

    東京都豊島区に住んでる40代の主婦です。
    はじめまして。
    刺し子に興味を持ち、いろいろネット検索しているうちにこちらにたどりつきました(笑)

    詳しくは分かりませんが、お父様のことや会社のこと、たくさん時間をかけて、グダグダしたり納得したり…してゆけるといいですよね。

    私の立ち直れない時に聴くのがエレカシの『今宵の月のように』『赤い薔薇』です。
    では^^

    • より:

      >山田 様

      コメントありがとうございます。「刺し子」で検索して頂くと、ここに辿り着くんですね…(笑)勉強になります。
      沢山のご希望は頂きながらも、もう少し時間を置いて、このサイトにも刺し子を巻き込んでいければと思っています。どれだけ否定しても(されても)、僕の生き様だったものなので。現実と向き合うのに、時間が必要だとしたら、やっぱり待つしかないと思うのです。

      『今宵の月のように』は、良く聞いて泣きます。特に散歩しながら。宮本さんに少しでも近づきたいと思っているのかもしれません。もちろん『赤い薔薇』は走りながらw。

      コメント頂けて嬉しかったです。またお立ち寄り頂けると嬉しいです!

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Sponsored Link

PAGE TOP ↑