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EGO – エゴのお話。

公開日: : 最終更新日:2014/05/14 ライフライン, 思考の具現化




引き続き、直感とエゴのお話。 『エゴ』という言葉。良く聞くし、僕自身も結構使う言葉なのだけれど、改めてちょっとだけ言葉の意味を考えてみます。

 

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『エゴイスト』とか『エゴ丸出し』とか、雰囲気的にネガティブな言葉として使われる『エゴ』。

実際にはどうやら『自我』に近い意味合いがあるみたい。ラテン語で『私』を意味する単語の様。となれば、英語でいう『Identity – アイデンティティ』にも共通してくるんだと思うのです。

 

先日から書いている事は、とてもシンプル。

 

『直感にエゴが入ると、盲目的に信じちゃう事になるから気をつけた方がいいよっ』っという自戒を込めたメッセージ。

 

非物質の、本来だったら目に見えない存在からのメッセージだったりイメージだったりを受け取る僕にとって、直感にも似た感覚はとても大事なもので、だからこそ、そこに敢えて『自我』は入れない様に、入れるとしたらしっかり解釈すると認識した上で、受け取らないとと思っているのです。

 

 

ハンドルを手放す覚悟

 

日々がぐだぐだで、それまでの『自我』を失って、どうしようもならない様な状況の中で、強がって書き続けていた2014年前半のブログ。そのエントリーのヒトツに、「ハンドルを手放すこと」について書いてました。

 

そう。今の僕は、一度、ハンドル(エゴ / 自我)を手放す所から始まっているのです。良い意味でも悪い意味でも、手放した。もう仕方がない。ぶっちゃけちゃえば、『どうにでもなれ。どうでもいいや。』   以前の僕だったら絶対に感じない、その「後は野となれ山となれ」的な感覚を覚えてから、全てのストーリーが始まっているのです。

もしかしたら、そのストーリーはもっと以前から始まっていたのかもしれないけれど、少なくとも、僕が気がついたのは、その辺りから。ハンドルを手放すことにかんするブログでは、理屈コネてカッコいい文章にしてやろうって感じが結構読み取れるけれどね。強がってたんだと思うのです。

 

 

敢えて認める、覚えてないライフライン

 

先々週迄モンロー研究所にいたとは思えない程の、モヤモヤ感。もっとモンロー研究所での体験記を書きたいのだけれど、上手く文章で表現できない…というか、文章にするのがちょっと怖いのかもしれません。

 

一番最初にモンロー研究所を訪れた『ゲートウェイ•ヴォエッジ』の体験も、文章にするのが怖かった。というのも、期待していた体験がほとんどできなかったから。体外離脱も、ガイドと話す事も、過去生を視る事も、2011年の一週間では形にならなかったです。

結局、ゲートウェイでの体験を文章にできたのは、それから3年経った『ガイドラインズ』の直前。     今回の『ライフライン』のプログラムも、敢えて書いてしまえば   「やべ、あんまり覚えてねーや。」   という一言です。

この現実と向き合いつつ、苦しんだり、悲しくなったりもしているのですが、と同時に不思議な事もあって。45分前後のセッションの中で、どうしても覚えてない場所があるというのは、やっぱり不思議な事だと思うのです。

 

夜見る夢を、朝起きて、「夢を見た事は覚えているのだけれど、見た内容が思い出せない」という感覚が一番近い、そんな状況。   いつかは思い出す…というメッセージだったりアドバイスだったりは頂いているのだけれど、それでも期待していた死後の世界を、今この瞬間に言葉にする事が出来ない事は、凄く寂しいし、とてもモドカしいのです。期待していたし、期待して頂いていたし。それなりのお金をつぎ込んで、ほぼ寝て過ごしたなんていうのは、やっぱり悔しいのです。

 

…そうだな、悔しいっていう表現が一番近いかもしれないな。

と同時に、今回の体験には、最高の体験だった『ガイドラインズ』と比較すると、大きな違いがあるのです。それは、参加する以前からめちゃめちゃ期待値を高くして、且つ「こういう体験をするだろう…」という自我を持ち続けていた事。受け取るべきメッセージを事前に期待してしまっていた段階で、今回のライフラインへの心構えは、少し以前と違っていたのだと思うのです。

『手に入れるものと、手に入れられないもの』 そして、『欲しいものと必要なもの』   人生は面白いもので、それはなかなか一致しません。一致しないからこそ、勉強ができ、体験ができ、そして伝えられる事もあると思うのです。

 

沢山のZipファイルを貰った気はしているのです。まだそれを開く方法がわかっていないだけ。エゴと期待、そして人生の面白さを身体全身、エネルギー全体で受け止めながら、日々の感覚を大切にしていきたいものです。

 

エゴ…。 それこそ、必要でありながら、時には必要でないものなのかもしれません。 全く『エゴ(自我)』が無い人には僕はきっと興味を持たないのかもしれないし(きっと僕もならないだろうし)、逆に『エゴ(自我)』だけの人は、表面上は上手く行っているようで心のどこかで苦しんでいるのかもしれません。

 

こんな人生になるなんて、誰が予想したのか…。 求められるものは与えられないかもしれないけれど、与えられたものは無意識下で求めていたものなのかもしれません。

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