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育児から学べるコト- 正解がないからこそ

公開日: : おっさんの子育て, 日々の小話




 

束の間の産休中のマリナと、子育て主夫見習い中の僕が、四六時中顔を付き合わせて里央菜のことを考えている日々。

 

国際結婚もなんとかなってきたし、子育てもなんとかなるだろう

なんて甘く考えていたけれど、生後1ヶ月の赤ちゃんとの日々は、吃驚するほど大変で。もちろんナントカなってるし、ナントカなっていく自信があるから、こうして文章に想いを紡いではいるのだけれど。

まだ視力もボヤけている、ほんの1ヶ月だけこの世を体験している里央菜から教えられる事はたくさんあって。

僕もマリナも日々勉強をしつつ、その日々から学べたことはしっかりと記録に残しておきたいと思うのです。

 

 

 

正解が存在しない日々

 

「子育てには絶対的な正解は存在しない」と思うようになりました。

どれだけインターネットで情報を調べようと、どれだけ本の知識を詰め込もうと、育児には「Aを処理するとBになる」というような論理的な解決策は存在しません。インターネットでの情報も、本で紹介されているノウハウも、そして第三者の意見も参考程度に留めることが、まずは大事なのだと思うようになりました。

 

具体例を出して話を膨らませます。

 

僕ら夫婦の当初の計画(希望)は、おっぱいからの授乳でした。

当たり前のようにおっぱいからの授乳ができるもんだと思い込んでいました。

 

生後数日間の苦痛に耐えたマリナですが、それでも上手におっぱいを飲めない里央菜(吸い付きが強すぎるのか)と、傷ついて痛みでどうしようもならないおっぱいという状況で、搾乳し、その母乳を哺乳瓶を通して里央菜にあげることにしました。少なくとも、おっぱいの傷が治るまでは。

傷が完治したところで、再度おっぱいからの直接の授乳を開始してみたのですが、どうも哺乳瓶に慣れてしまった里央菜には難しいようで、マリナと里央菜の努力の、そして大泣きの一晩を一度経験しました。そして、「里央菜に授乳する」という最終的な目的のために、おっぱいからの直接の授乳ではなく、搾乳→哺乳瓶から母乳という方法に切り替えたのです。

 

「直接母乳をあげられない」ことに罪悪感を感じたマリナは、少しでも「母親としての責務」と果たそうと、搾乳での完全母乳を計画したのです。その為には、定期的な搾乳(2時間置きに30分以上)が必要だと本で読んだりインターネットから情報を仕入れ、そのように日々努力してきたのです。ただでさえ寝れない新生児との日々なのに、そこに搾乳をぶち込んだのでした。

 

ストレスが影響しているのか、それとも睡眠不足なのか、最近マリナが、

「一回の搾乳から取れる母乳の量が減ってきたんだ……。」と涙をためて僕に訴えるようになりました。母乳が出ようが出まいが、2時間置きに搾乳をすることで、マリナの脳が母乳を作らなきゃと思ってくれるから、一回の搾乳で例え母乳が全く出なくても、搾乳は”続けなければならない”というようになったのです。

 

そこで僕はマリナにこう伝えました。

「まずは2時間置きの搾乳をやめてみたらどうかな?おっぱいが張ってキツい時に搾乳をする。その間は休むようにする。」

 

マリナは反論します。

「でもそれじゃ、母乳が出なくなっちゃうかもしれない。だから搾乳は続けなきゃいけない。」

 

 

「うん。母乳が出なくなるリスクはあるかもしれない。でも、この状況でマリナが倒れちゃうことの方が俺は問題だと思う。母乳が出なくなったからと言って、そこで全てが終わるわけじゃない。粉ミルクの準備だってしてあるのだし、最終的な目的は里央菜を飢えさせないようにすることでしょ?」

 

「それはそうなんだけど、私ができる全てのことをしないと気が済まないの。怠慢な母親にはなりたくない。2時間おきの搾乳が答えなら、それを続けなきゃいけない。」

 

「マリナは怠慢な母親になんてなれないよ。2時間を置きの搾乳を1ヶ月も続けてきたじゃん。それで今母乳の出が少なくなってきてしまっているのなら、原因は違うところにあるのかもしれない。”2時間置きの搾乳”が正解じゃないかもしれない。」

 

「じゃぁどうすればいいの?」

 

「僕らはきっと、”正解がない”ということを認識するところから始めるべきだと思う。誰かが”2時間おきに搾乳をしないと、母乳が出なくなる”と言っていた所で、それが僕らにとっての正解じゃないかもしれない。少なくとも、マリナ自身の精神が壊れてしまうようなら、それは正解じゃない。」

 

「あとね、里央菜の少しの変化で自分を責めるのも止めにしようよ。なんだか、自分を責めるために里央菜の”普通じゃないところ(例えば湿疹とか)”を探し出している気がする。もうマリナは素晴らしい母親だよ。できること全てやってんじゃん。あとは里央菜のメッセージをしっかり汲み取ってあげて、マリナ自身の体の声も聞いてあげればそれでいいんじゃん?存在しない正解を求めてるから俺もマリナも辛いんだよ。もっと今に焦点当ててみようよ。」

 

 

英語の会話を無理に日本語訳しているところもあるし、1時間もの会話を数行にまとめるには少々乱暴なまとめもしているのだけれど、5週間経って、すこぶる元気でソーセージのような里央菜の成長の裏には、こうした葛藤もあって。

 

それはきっと、どの親も通る道だとは思うのだけれど。

 

 

今回の流れを時系列で書くと……

 

直接授乳(おっぱいからの授乳)が当たり前だと思っていた。(期待&要求)

直接の授乳ができない(問題発生)

搾乳して哺乳瓶で授乳(解決策&代替案 = 答え)

搾乳は完璧でなければいけない。(期待&要求)

もしかしたら搾乳量が足りないかもしれない(問題発生&危機予測)

A : 粉ミルクの準備(暫定の解決策)

or

B : 搾乳の効率化&答え探し(←今ココ。でも考えられる事は全て試した)

暫定の解決策が正解かどうかで苦しむ。正解じゃなかったらどうしよう。

ぎゃぁぁぁ。

 

 

っという流れになると思います。

この流れ、ビジネスとかだったら100点に近い形の問題解決モデルだと思うのだけれど(PDCA – Plan Do Check Act的に)、”利益を出す”とか”社会貢献する”という明確な正解があるビジネスと違って、子育てには明瞭な正解がないことに僕らは気がついていなくて。

 

ちょうど僕がこのブログを書いている今、マリナは初めて一定時間置きの搾乳を止めて、おっぱいが張って痛くなるまで寝るという冒険をしてみてくれています。(里央菜は爆睡中)

 

一定間隔の搾乳を止めることが正解かはわからない。でもいいんです。「子育てには絶対的な正解は存在しない」のだから。

 

子育てには失敗も存在しないはず。

 

同時に逆説的に言うと、「子育てには絶対的な失敗も存在しない」はずなのです。

どんな経験も、どんな失敗も、そしてどんな答えも、正解だと思うことも、全て必要で、且つ正しいんだろうなっと思うのです。「無条件に子供を愛する」という絶対的な条件は必要です。でも、その愛さえあれば、きっと僕らがすることは全て正しい”方向”に進んでいくんだろうなと思うのです。

 

僕の役目は、これをマリナに共有し続けること。

そして里央菜にしっかりと伝えていくことなんだろうな、と。

 

 

子育て以外にも当てはめられる”正解のない”日々

 

今朝の会話を思い出しながら文章にして、ふと思うのは、これはきっと子育て以外にも当てはまることなんじゃないかということです。

ビジネス、仕事、プロジェクト……多くの社会活動には終わり(完結)があり、その完結とはつまりは正解を意味します。長期的な完結じゃなくて、1ヶ月とか1年とかの定期的な完結(正解)がないビジネスに足を突っ込むことほど怖いことはないし、「ノルマ」なんていう日本らしい言葉も、その正解から逆算したものだと思うのです。

 

だからこそ僕らの日々は、常に「正解であり続けること」を求められているんでしょうね。

「正解だとされること」を、量と質とで共に多く獲得して他を凌駕した存在が、報酬だったり地位だったりを手にしていく。学校の試験なんかもそう。正解が常にあって、それを求めるのが学生の本分。

 

 

僕は決して、”正解がない日々”が素晴らしいとは思っていません。正解があってこその文化だし、価値観だし、社会だし。

 

ただ、健全に生きて行く上で、もしかしたら”正解がない分野”が存在することを理解することも必要なのかな……っと思うようになったのです。穿った言い方をすれば、”正解がないことを理解する”ことが、正解への一歩なのかもとすら思うのです。(この場合は”正解”という単語を定義しないとダメだけど。)

 

 

僕らは、(というか僕は特になのだけど)

 

– should (〜しなければいけない)

 

という感覚を持ち合わせています。

正解が存在し、その正解への道筋もある程度紹介されている世の中では、あとはその道筋を辿ればいいわけです。上手に進めれば優秀だし、ずれてしまえば劣等だし。(例えば大学受験なんかはこれだと思う。)

 

そしてこの、”Should (〜しなければならない)”は20代後半にもなると

 

– should have (〜しておけばよかった)

– would have (〜できたはずだった)

 

という後悔に似た気持ちすら作り出すようになります。

 

 

 

でも。

正解のない日々が存在するのだとしたら。

今僕らの目の前には、”Should (〜しなければならない)”ことは存在しないことになるのです。そして、過去への後悔すらも。

 

もっと端的に言えば、

「今のあなたは、そのままでいい。だって正解なんてなくて、今まで努力してきた自分がいるのなら、それでいい。それが素晴らしい。」

っとスピリチュアル的な結論に収束しちゃうことになります。

 

 

去年の夏の瞑想経験で得た「今」への完全集中は、もしかしたらこの「正解がない日々」への足がかりだったのかもしれません。よく考えればそうだよね。正解ってなんだろって話になってきちゃう。

 

 

里央菜がくれるメッセージ。

マリナが紡ぐ嫁語録。

 

日々、学びが続いています。

子育ては奥が深い。

というか、子育てを通じて自分と向き合えることが、気づきのきっかけになっているんでしょうね。里央菜は、僕ら親を映し出してくれる鏡なんだろうと思うのです。少なくとも里央菜がアイデンティティを持ち出すまでは。

 

 

 

 

 

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