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どうすりゃいいんだ。

公開日: : BLOG, 日々の小話, 自分語り




久々にパソコンに向かって、文章を書いてみることにしました。
久々の自分語りです。何回か書くのを中断せざるを得なかったので、なんかまとまってない文章なのはご愛嬌で。

これまで、自分語りをする余裕すらなかったことも鑑みると、子育ても一段落してきたってことなのかもしれないけど、一番大きい要因は子供が保育園に通いだしたことで、そのぶん自由な時間が増えて、微妙な余裕をもてるようになったことだと思っています。んでもって、その微妙な余裕の時間が、また自分を苦しめる要因にもなっているという……。どんだけ不器用にしか生きられないんだろう……。

 

FBとかSNSではキラキラした自分を装いつつ、上辺だけのカッコいいことだけを書いているのが、余計にダメージを残してしまっていたり。SNSでの輝き具合と反比例するように、どうも最近の日常は落ち込み気味です。

 

自由が怖い。どうすりゃいいんだ。

2014年、人生において唯一自由になった一年間で、その自由があまりにも怖くて書いた文章があります。

自分の人生を生きる

お会いしたことがないけれどずっと僕の背中を押してくださっている方から、僕が進む道を迷うようなことがあったら、このブログを読み直したらいいとアドバイス頂いた大切なエントリーです。

「人と比べずに生きる」

ある一定の人にとっては悩みにすらならないほど簡単で、でも他の一定の人にとっては、どうしようもならないほどの足枷になってしまう、この考え方。「人と比べずに生きる」と自分に言い聞かすために書いたブログを読んで、違うところから「どうすりゃいいんだ?」という悩みが出てきてしまっていて、それが今回のブログを書く動機になっています。目的って大事よねって話。

 

どこまで踏み出していいんだろう

2013年まで、僕の人生には「目的」がありました。

決して楽な日々じゃなかったし、常に反発&反抗して、常に「こんな人生嫌だ」っと思ってきたけれど、でも、確固たる目的がありました。「母親と弟を守る」という、責任感にも似た覚悟が、幼少期から2011年頃までの僕の明確な生きる目的で、その後は、「大嫌いな父親だけど、でも最後まで、家業と家族の面倒をみる」っという同情にも似た後ろ向きの覚悟が、2011年頃から2013年秋までの生きる目的でした。

 

そんな「勝手に抱いた妄想にも似た責任感」が、ふと2013年の親父の急逝がきっかけで必要なくなり、既に正規の仕事をしていた弟は僕の心配なんぞ必要のない状態で、僕に残されたのは「会社も夫も失った母親への心配」だけでした。そんな母親も、僕がずっと付きっきりで心配することを望むような手助けが必要な母親じゃなく、自由になれば自由になったで一人で生きていけるような人なので、「生きる目的」という意味合いでの責任感で残ったのは、何もなかったのです。(実際、2015年には個人事業主として仕事を再開するようになるわけで)

親父の四十九日が終わるまでの約二ヶ月、ずーっと、それこそ毎日何時間も母親と話した後に得た想いは、「親父が僕達に”自由になれ”って言ってくれているのかもしれないね」という前向きな思いでした。実際、2013年まで抱えていた重荷や足枷は、それだけで精神を壊してしまうようなものだったのは間違いないので。ただ、精神を壊してしまうような足枷や重荷でも、それが目的となって人は前向きに生きられるのかもしれませんが。

 

 

「おいおい。嫁さんはどうなんだ。」

っと突っ込まれそうですが、2010年に結婚して、その後3年間も遠距離結婚が続けられる当たり、嫁は結構強い人なので、当時は「僕がなんとかしなきゃ」なんて想いはなかったのです。だから結婚できたのかもしれないですけれど。当時は本当に強い人でした。というか強い人だと思ってました。

 

2014年、「心配のない日々」が心配でした。

親父の四十九日を終えた後に、「普通の」結婚生活を始める為にアメリカへ仮の移住。やっと「親になる」という選択肢も出てくるねっと嫁と話していたのです。

と同時に、永住権申請準備中だった僕は働くこともできず、住んでいる家も賃貸で小さく掃除も大変じゃなく、そんなにたくさん食べない&ベジタリアンな嫁の食事の準備は大変じゃなく、専業主夫といってもそれほどの仕事はなかった日々は、ある意味で「自由すぎるほどの自由」な日々でした。当時は、その環境の変化があまりにも大きすぎて、また親父の死が信じられなさすぎて、その答え探しのような形で、瞑想の修行をしてみたり、「モンロー研究所」で、幽体離脱体験や、死後の世界の探求などのプログラムに参加していたのでした。あ、後、ヘブライ語も勉強したり、人生のモラトリアム的な時間を過ごしていたように思います。楽しかったけれど、とても不安でした。「一時的な休暇だから」と自分に言い続けて、「目的(責任感)」がない日々をごまかしていたのかもしれません。ホントに毎日が不安でした。その不安は今も似たような形を伴って残ってはいます。

 

2015年〜、究極の「責任感」という目的ができました。

2015年3月に里央菜を授かって、それからの一年間は怒涛の日々でした。言わずもがなの、「子育て」という究極の責任感です。「心配のない日々が心配」なんて言ってたのがアホらしいほどの日々で、それこそ生きることに必死でした。父親と母親だけで、第三国で、初めての子育て。「僕がいなければこの子は死んでしまう」という状況において、僕は久々に生きる意味を見出していたのかもしれません。

 

里央菜が成長するにつれ、里央菜が友達と遊びたがるようになって、そして少しずつ自分の時間も増えてきて、おかげさまで自分のキャリアを有効に使える仕事の機会も頂いて。

ある週末の一回限りになるかもしれないと覚悟もしていた仕事も、その後継続していけそうで、その仕事が増えるタイミングで話を頂けた週5日の保育園にも、無事里央菜は馴染んでくれて。高額な保育園は決して家計にとっては楽なものではないけれど、僕の仕事が保育園代くらい稼げれば、僕のキャリアに空いた大きな穴を埋めるという意味合いでも、とてもありがたい現状で。

父親になれて、日々の生活には困って無くて、仕事もフルタイムではないけれど無事再開できそうで、っと……とてつもなく幸せな状況になった2017年、また僕は、表現し難い不安や苦しみを抱えていることに気がついたのです。

 

常に立ち位置を考えてしまう癖。病的なほどの。

 

海外留学して、国際結婚して、主夫やって、今はフリーランスで働いてって、僕の肩書だけを並べると、結構破天荒な性格をしているんじゃないかと思われるのですが、実は相当な現実主義なのです。常に自分の立ち位置を確認して、その立ち位置が正常かどうかを見極めながら日々を送っています。その距離感、バランスのとり方は、ある意味では病的な程だと思っています。

だからこそ、今の自分の立ち位置が、凄くギリギリのバランスの上で保たれていることがよく分かるのです。

 

嫁の仕事に影響が出るほどの仕事量は詰め込めない。里央菜が体調を崩す可能性も常に考えておかねければならない。体調を崩した娘を預けられる先がない&面倒を見にきてくれる家族もない状況では、夫婦のどちらか一人が、ある程度犠牲になって常に子守の準備ができていないとマズい。だからこそ、日々の仕事に責任が発生する正社員での勤務は今は難しい。

もちろん選択肢として、夫婦両人がお互いの仕事に思いっきり時間を費やすことも、方法論としては可能なのだけれど、それだけの犠牲を払ってまでする仕事が、今の俺にはできない。というか、ない。好きなことがわからないから、好きなことを仕事にできない。「すべきこと」への興味はあっても、「したいこと」とじっくり向き合うことができない。その経験がない。だとしたら、娘の病状保育を他人に任せるという犠牲を払ってまで、何かをする必要はない。

 

こんな感じの堂々巡りを頭の中で繰り返してしまっているのです。

幼少期から「大人になること」を必然的に求められ、思春期には「期待されること」と「自然と反抗する気持ち」の間で揺れ動き、成人してからは「それまで背負ってきた荷物の大きさに吃驚すると同時に、その荷物が下ろせないこと」に気がついて、ずーっと「生きる目的」を与えられてきた結果が、この悩みだと思っています。バランスが取れている状況を変えたいと思っても、でも、どこまで踏み込んでいいのか分からずに何も一歩が踏み出せない。今までも繰り返してきたこと。今もずっと繰り返したこと。

 

でも大きな違いは、

今までの過去は「繰り返しても仕方がない」理由があって、今は、理由なく過去の癖(習慣)から、仕方なく繰り返しているだけで。

 

 

何がしたいんだろう。そんな贅沢な悩み。でもきつい。

 

2014年にも2015年にも書いたこと。結局俺は「何がしたい」んだろう。

「したいことをしていい」状況にいるっていうことは、相当贅沢な悩みであることも理解しつつ、でもキツイのも紛れもない現実なわけで。人はどうやって「したいこと」をみつけるのか。今でも僕は本当にわからないでいるのです。したいことがわからないから一歩が踏み出せない。でも、状況は一歩を踏み出す状況にいる。今のままの場所に立ち止まっているというのは違う気がしていて、なぜなら今までは当たり前のようにあり年々悪化していた「生きる目的」という足枷が、今ではだんだんと手が離れていく子育てというものに変わったからです。

子供が大きくなっていくのに、父親である俺が今の場所にずっと留まっちゃいけない。というか、留まれない。だから、今がキツイってのもあるのだと思うのです。

 

誰かのために生きる日々。それでいいのだけど。

 

毎回、ほぼ満員になるほど人気があるワークショップなら、それをずっと続ければいいじゃないという脳内の声もあります。家業だった「刺し子」は、ずっと僕の人生を固定したという憎しみの対象であったにも関わらず、今は、ご縁と機会を提供してくれる感謝すべき対象になりました。刺し子は好きです。でも、その「刺し子」という職業には、結婚後の人生の全てを刺し子に捧げた母親の存在があるからこその価値観なのです。

母親が「刺し子やーめた」と言ったら、きっと僕は続けられないと思うのです。(絶対母親は言わないけど)

それほど、「母親の為に続けている」という想いが強いし、「母親の日々が忙しくなればいいな、少しでも日々を裕福にしてあげられるように稼ぐ手伝いができたらいいな」というスタンスです。だから、一人で刺し子を続けられる程の強さは、今の僕にはありません。

 

主夫業もそう。

もともと、ある程度自立してた嫁だから、家事は僕がしなければいけないわけではありません。僕の方が家事が上手だから、選択肢として僕が主夫になっただけで、それが結婚の必要条件ではないのです。僕自身も主夫になりたかったわけじゃないし。

今彼女が僕にもとめていることは「好きな生き方をして欲しい」ということ。本当に贅沢な悩みなのだけど、その「好きな生き方をしてほしい」という彼女の言葉が、結構痛かったりするのです。彼女にその痛みはしっかり伝えているけれど、だからといって他人の生き方を決められる程、他人に”こだわり”がある人でもなくて。

「嫁の仕事を支える」という程の実務能力は僕にはないし、「嫁を養う」というだけの甲斐性は、ここアメリカの田舎町では残念ながら難しいのです。家事をしながら彼女を支えていくというのが、現状のところ。

 

 

子育てに関しては、2015年、2016年と相当な時間と根性、そして努力をつぎ込んできましたが、有り難いことに娘がとても社交的で、父親と二人っきりの時間よりも友達との時間を楽しむような感じになってきたので、これからは、「娘の為に生きる」という距離感は、逆に良くないんじゃないかと思っています。「娘のために」って思い続けちゃうと、意識しないところで(望まずに)見返りを求めちゃうしね。まだまだ子離れには早いけれど、それでも彼女に僕の背中を見せていくというのも大切な気がしています。

 

ずっと文章にしてきた、

「僕は三世代、母親、嫁、娘、の為に生きます!」

っという、ちょっと強がりにも似た決意表明は、2017年に娘が保育園に入ったことをきっかけに、少しずつ崩れてきて、「自分の為に生きる」という大きな壁にぶち当たっています。んでもって、この「自分の為に生きる」っていうのは、33年間において一度も成功体験がないものだから、もー、大変なほどに悩んでしまっているのです。

 

ほんと、どうしたもんだろ。どうすりゃいいんだ?

どこまで踏み出していいのか、わからないのです。好きなことを好きだって言いながら日々を過ごせている人が羨ましくて仕方ない。好きなことを見つけるためには、ある程度の時間を費やす必要もあると思っています。やってみなければわからないこともあるし。ただ、その一歩を、どこまで踏み出して良いのかもわからないのです。

 

久々の堂々めぐり。久々の気分の落ち込み。

 

「自分以外の誰かの為に生きる」

そんな人生を送っている人は、きっと少なくないんだろうな……と思って、この文章を残すことにしました。今の僕のように選択肢がある幸運な人も、以前の僕のように選択肢がなく苦しんでいる人も含めて。最初は、なんか弱音も愚痴も今書くべきじゃないかなっという気がして、書いては消し、書いては消しを繰り返していたのですが、「自分の人生とは何か」って迷っている人もきっといるんじゃないかと思って。キラキラ輝いている人は、結構「俺の人生はこれだ!」って決めて突っ走っている人も多いので、そうじゃない人にも何かしらの応援を送れたらいいなと思ったのです。

 

何よりも、自分自身への応援も精一杯込めて。

 

 

 

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