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今日という一瞬が幸せであると気がつけないで、明日という瞬間に幸せが感じられるのだろうか?

公開日: : essay / エッセイ




 

久々に長いタイトルです(笑)一昔前は、こういう長いタイトルでブログ書いてました。タイトルっていうか、もう文章ですよね。でも、どうしても、この頭に浮かんできた言葉をそのまま使いたかったから、ブログのタイトルにしてしまいました。

「今日という一瞬が幸せであると気がつけないで、明日という瞬間に幸せが感じられるのだろうか?」

 

「一日は一瞬ちゃいまっせ」とかいう揚げ足取りもできちゃうのですが、敢えて心に浮かんできた文章をそのまま。いつも「最大限頑張っているつもりなのだけれど、何かが物足りない」なんて思っている僕への、そして似た様な悩みや苦しみを持っている方へのメッセージ。

苦しい日もあると思う。人生そのものが嫌になって、もう終わらせてしまいたいというくらいの不幸感に苛まれてしまう日も、一瞬もあると思う。でも、きっと、ある一瞬の中に、幸せは存在していると思うのです。その幸せに気がつかないで、あるいは気がつかない振りをして、必死に明日に存在するだろう幸せの瞬間を探そうとしてみても、きっと同じ繰り返しになってしまうのではないでしょうか?

 

中学校時代の担任の恩師の言葉に、

「人は人生の95%が苦しみや悩みでも、5%の幸せがあれば生きていける」

という力強いメッセージがあります。ちょっと中学生には早過ぎた気もしますが、その言葉は今でも僕の心にしっかりと残っていて、その5%を探す事が、あるいは5%に気づく事が、大切なんじゃないかな…と思うのです。

 

 

明るい振りをして、現実思いっきり暗かった1月〜3月迄の三ヶ月間。

皆の活躍が眩し過ぎて、知れば知ったで自分の不甲斐なさと皆を比べてしまうから、Facebookやtwitterといったソーシャルメディアからはできるだけ距離を置いていました。少し頭の中の思考回路が変わった今、SNSを普通に観覧できる様にはなりました。度々、自分の情報発信もしてみたり。ただ、思考回路は変わっても、「無職である」という悩みの種の現実は変わらない訳で、仕事で活躍している人々の投稿や姿をみると、どうしても比べてしまうのです。

 

「あ〜、俺、何してるんだろう。本来だったら仕事して、頑張って、認められて、きっと楽しい日々を過ごしているんだろうな。」

 

って。

 

 

それでも、だからこその、日々の幸せ。

 

面白い事に、思考回路がここまで変化すると、そんな心の中の声にも、突っ込みが入るのです。

 

「”本来”ってなんだ?お前の人生は、今が本来じゃないのか?」

「お前は誰に認められたいんだ?世間一般なのか、それともお前が尊敬する人なのか、あるいは愛する人なのか?」

「”楽しい日々”ってどういうことだ?今は楽しくないのか?」

 

ヒトツひとつの突っ込みに、冷静に返答を探して行くと、面白いもので、『今この瞬間こそがもしかしたら完璧なのかもしれない』なんて思える様になるのです。もしかしたら、今この瞬間こそ、ずっと求めていたものなのかもしれない…っと、そんな風に思える様になるのです。

 

仕事を使命と捉えていた頃は、マリナと一緒に過ごす時間が少ない事に申し訳なさを感じていました。と同時に、もっと一緒に時間を過ごしたい、そして大変な仕事をしているマリナを支えてあげたい…と思っていました。これは今、完璧に近いカタチで叶える事ができています。というか、日々マリナから感謝されてるので、それで充分かな…と思いつつ。

 

実際に仕事ができたら良いな…と思います。できれば、また世界中を飛び回る様な仕事をしたい、プロジェクトを回してみたい。でも、今この瞬間は、マリナとの時間を犠牲にして迄、その夢を叶えようとは思わないのです。それにはきっと、もうヒトツ、潜在意識内にあった僕の叶えたい夢も健在意識の中にうっすらとカタチを現しだしたからなのかもしれません。

 

以前は、マリナと一緒に過ごす時間だけでは満足ができませんでした。残念ながら、人は、大切な人と過ごす時間と同時に、「自分自身の存在意義を肯定する忙しさ」が必要なんだという事を学んだ時期でした。

 

いくら、「俺の人生は、マリナの幸せだけを考えればいい…。」っと自己洗脳を試みても、やっぱり人生は自分軸なのです。子供でもできれば…なんて思った時期もありましたが、それはそれでまたちょっとズレがあるものなんだと思うのです。自分の人生を子供に投影し続ける姿は、きっと素晴らしく美しく愛に溢れた姿なのだろうけれど、でも、僕の求めていたものとは少し違ったのです。(子供は欲しいです。きっと良い専業主夫にもなれるんでしょうけれど。)

 

二回目のモンロー研究所でのプログラムを終え、徐々に自分の中での次なる使命が見えてきて、あるいはどうして以前の使命が終わりを迎える事になったのかがなんとなくわかってきて、これからは日々勉強の毎日になりそうです。全く新しい分野に飛び込むわけだから、日々の勉強は欠かせないし、いかに上手に言葉にするかという人生の命題は、ここでも重要な役割を担っていて。

 

shiawasetoha

 

マリナと一緒の時間を楽しみながら、彼女の仕事を支え、そして自分は新しい分野の勉強を継続させる。とりあえずの生活費の心配はしなくていい恵まれた環境で、好きな分野の勉強を一向追求できるなんていう事は、きっと何よりもの幸せなんだと思うのです。

そう。今日という日、一瞬。僕は仕事に行ってないし働いてもなく、社会に価値を提供している感がなくて凄く自分の事を卑下しがちなのだけれど、きっとその瞬間には未来に繋がる役割があって、不甲斐なく悩んでしまうのだけれど、それでも、その一瞬を幸せであると気がつく事ができないまま明日に希望を抱いても、明日に存在するその幸せの一瞬を感じる事はできないんだろうな…と。

 

幸せはきっと、作るものでも、望むものでも、あるいは与えるものでも、ましてや奪うものでもなく、それは日々の中で気がつくものなんだろうな…と。日々の中で感じる、愛に包まれた感覚と共に感じる温かい何か。それが幸せなのかもしれません。

 

 

 

 

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