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【続】必要なものは与えられている。




 

以前からは信じられないような心の静けさを感じている最近の日々。この平穏さが、僕にとって必要なもので、だとしたらやっぱり必要なものは与えられている(与えられる)のか……と、以前に書いた記憶があるブログエントリーを読み返してみて。

そのブログエントリーはこちら↓

必要なものは与えられている。

 

親父の突然の他界の事実をなかなか飲み込めず、生き地獄の様な日々を過ごした後での気付きを書きなぐった様な文章には、我ながら、「良い事書いてるじゃん」っとも思ってしまい(笑)。自分の気持ちを整理するために、過去の思い出等の派生話も多いけれど……最後に纏めたこのパラグラフの文章は、当時の僕の”前向きになろうとする必死な”思いが読み取れるのです。

 

”『今の僕があるのは、今迄の僕の努力の形なんかじゃなく、僕に「与えて」くれた人たちの存在だ』という事は、忘れちゃいけないことだと思う。努力は大事、だ。自分軸を中心にした努力という時間がなければ、「与えられる」機会も減ってくる。
ただ、勘違いしちゃいけないのは、幸せは努力して「掴む」もんじゃなくて、「与えられている事を感じる」ものだ、という事。何より、努力できる環境にあることすら、幸せであり、それすらプレゼントなのだから。”

 

ヒトツ面白いのは、捉え方によってこの文章の意味合いが全く違うものになってくるということ。

「幸せである」ことを自分に言い聞かせている様にも読み取れるし、更に言ってしまえば、その当時の場所から努力をして成長をすることを前提とした幸せについて書いているのです。努力も、成長も、そして幸せであることを”感じようとする”ことも、全て正しい道なのだけれど、今僕が感じている平穏は、その上記とは少し違っていて。

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止まって観察する勇気

 

日々の瞑想の時間は、意識的に作りだしている時間。

朝晩の1時間と簡単に言葉にはできるけれど、なかなかその1時間を創り出すのは大変なこと。家事以外に決まった仕事がない僕ですら、勉強だったり細々した雑用だったりで意識しなきゃ保てない2時間なのだから、規則的な仕事を持っていらっしゃる方は、なかなかの覚悟がないとその時間は創り出せないかもしれません。

 

それでも、どんな状況でも僕はその時間を確保する事をお勧めしたいのです。別に瞑想の時間のみをお勧めしているわけじゃなくて、あるいは2時間という決まった時間枠をお勧めしているわけでもなくて、ただ、一日の中で10分でもいいから、”思考を止めて、観察する”時間を作れたら素晴らしいだろうなっとお勧めしているのです。

 

この”止まって観察する”時間。

以前の僕もそうだったのだけれど、もしかしたら相当の勇気がいる時間かもしれません。だって、この時間の間は、スピード感なんてないし、成長している感覚もないし、効率性も生産性もないし、極端に言ってしまえば無駄な時間に分類されてしまうもの。少なくとも、昔の僕は無駄な時間と判断していた時間。

 

その無駄だと思えてしまう時間こそが、今の僕を救っている時間でもあるのです。

 

 

観察すればするほど、必要なものは全て与えられている(気がする)

 

朝晩1時間の瞑想の中で、身体中の感覚を観察します。その都度、頭が違う事を考えても、敢えて拒否したり追いかけたりしないで、その過程そのものを観察します。時には、昔の嫌な事を思い出して怒りを感じたり、逆に楽しかった事を思い出して笑顔になりそうになるけれど、それも全て客観的に観察をします。常に、身体中の感覚には意識を向けながら。

 

すると、ふと、今の自分はこのままでいいんじゃないかな……という感覚が湧いてくるのです。そして、その”今”を肯定する感覚に対する感謝と、その状況と環境への感激とが身体を包みます。この”気持ちがいい感覚”を追いたくなるのを抑えて、また客観的にこの気持ちがいい感覚を観察するのです。

 

そんな時間を繰り返していると、何気ない時に、”必要なものは全て与えられている”という気がしてきます。気がするだけかもしれません(笑)それでも、そんな平穏な気持ちを長らく感じてなかった僕にとって、そんな気になるだけでも大変化です。

 

過去にあったどんな苦しみや理不尽な事、そして怒りが湧き上がってくる様な出来事も、きっと自分にとって必要なことなんだって。

あるいは、泣きたくなる様な情けない日々だったり、無駄だと思っていた時間こそに意味があったり……と、良い意味でパラダイムシフトが起こっていくのです。

 

 

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”観察すると自分に正直になれる。”

 

上記のパラダイムシフトが、どのような仕組みで起こっているのかは、今後の日々の瞑想と、その間の僕の生き方の中で、少しずつ紐解いていく必要があるのだと思っています。現段階では、正直わかりません。

 

それでも少しずつは分かってきていて。自分の感情だったり感覚だったりを観察することによって、自分に正直になれる気がしています。というのは、第一に自分がどう思い、どう感じているのかが、観察によってハッキリしてくるからです。自分の感情&感覚が正しく読み取れれば、正しい行動を考えてあげれば、自分に正直になるのは難しい事ではないのです。

 

”世間がどう思うのか。他人が下す僕の評価はどんなものなのか。”

 

僕らは日々、自分の正しい気持ちや感覚を無視して、”人様に自分をどう思って欲しいか”を中心に行動しています。立ち止まって観察しない日々を長く続けると、”他人が思う自分”こそが、”本当の自分”だと勘違いをしてしまい、結果、”自分の人生なのに、コントロールできない”という、とても不条理な状況になってしまうのです。

 

でも、こんなことは書かなくても分かる通り、人生をコントロールできるのは、その当人だけです。だとしたら、その当人が信じる正しい道を進むことが、一番の幸せに繋がる事だと思うのです。そしてその為には、止まって観察する時間、勇気が必要なんだろうなと……。

 

 

他人を意識して、他人が望む人生であることから一歩離れ、そして止まって観察することにより、”人生において必要なものは与えられている”という気持ちになることができました。そして、今後もその時間を持ち続けて、いつかは”人生において必要なものは与えられる”っと断言できるようになったらいいな……なんて。

 

 

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