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【続】本当に”したい”こと。




昨日のエントリー、「本当に”したい”こと」からの続き。

最近、ベジタリアン料理をレシピから考えるのが楽しくて、なかなか纏まった時間が取れないまま、結果、長文エントリー1本で纏めきれておらず申し訳ない気持ちです。とはいえ、こうして時間をおいて文章を完成させて行く作業は、一気に書ききってしまうよりも、伝えたい事が簡潔になるような気はしていて。後、主夫業を満喫しているという意味合いでも、ブログを書く纏まった時間が取れてないのは良い事なのかなっとも思ってみたり。

 

本当に”したい”ことを見つけられる幸せ

 

20歳代で覚悟した自分の人生のテーマが無くなって、職探しも難航する、何もできない宙ぶらりんな状態で出会った、63歳のER(緊急治療室)ドクター、M。とても静かに話す彼の言葉が、少しずつ僕の意識を変化させていったのです。

それは何度となく聞いた話。何度となく読んだ話。そして今ではキーワードの様になっている話。『人生、何かを始めるのに遅すぎるって事はない……』というお話。

 

Mは、僕が”したい”ことが上手く表現できない事に微笑みを返しながら、そして少し厳しい口調でこう続けます。

『俺が医学部に入ったのは40歳代に入ってからだ。大学の工学部を卒業して、そのまま軍隊に入った。横須賀ベースにも居た事もあるんだぜ。そして軍隊から離れ、ある老婆に出会って俺は医者になることを決めたんだ。工学部の学位からメディカルスクールに入る事はできなかったから、30代後半から第二専攻学位を取得して、そこからのメディカルスクールだ。』

 

直感でモンロー研究所に来るくらいの人だから、面白い人だなっとは思っていたのだけれど、人生をがらっと転換させた経験がある人とは思っても見なかったM。でも良く考えれば、『移動式の家に住んでて住所は特にない』と言いつつ、JEEPのWrangler Unlimitedという昔の僕が憧れた車に乗っている段階で、それなりに裕福な人なんだろうなとは思っていたけれど、まさかERのお医者様だとはつゆ知らず。

Mは静かに続けます。

『俺も淳みたいに、一時期人生に迷ってな。40年近い昔のN.Y.C.はまだ黒人には冷たい社会だったのさ。”当たり前”を求めて軍隊に入ったはいいけれど、結局社会に放り出される形になってしまった。その時、一人の老婆に出会ってな。その老婆は、希望を失った様な目をしている俺に、こう言ったのさ。』

“『なんだい、情けない顔をして。あんたは、”まだ”40歳にもなっていないんだろう?どう見積もっても、後20年間は第一線で活躍できるじゃないか。頑張れば30年も40年もいける。20年っていう時間をみくびっちゃいけない。なんでもできるだけの時間はあるんだよ。』”

 

静かな語り口ながら、老婆の英語のアクセントを真似しながら、昔を思い出す様に少し笑顔になりながら、当時を語ってくれたM。その後、彼はその老婆の言葉と、その時感じた”直感”を信じて、メディカルスクールに入学する準備をし、実際に入学し、そしてERのドクターにまでなるのです。

 

Mは、今では、7つの州で医師免許を持ち(アメリカは州毎に免許が必要)、自分の直感に任せて、その時々にモーターハウスを引っ越しさせ、働くべきだと感じた時に一生懸命働いているのだと。そして、今は、働きつつもモンロー研究所でのヘミシンクを体験する事が一番必要な事だと直感し、そして、”お前(淳)”と一緒に時間を過ごしているのだ、と。

 

『安定した仕事じゃないけれど、それでもERで人の助けになって、パートタイムでも生きて好きな事ができるだけの収入が得られるのだから、俺は良い選択をしたと思うよ。それでも、あの老婆に会わなかったら今の俺はないだろうけれど。』

 

と、静かに話を締めくくり、珈琲を口に含んだM。僕も、力強く握りしめていたカップに入っているカモミールティーを一口含んで緊張を和らげて。今迄何度も聞いた事がある、”何かを始めるのに遅すぎるという事はない”という言葉なのに、この時は歯を食いしばるかの様に聞いていたのです。

 

Mは喉を鳴らし、僕の方に透明な目線を投げかけて。

『で、淳は何がしたいんだい?』

……っと。

 

凄く、すごく情けない話なのだけれど、僕はここで何も言葉にする事ができなかったのです。多分、情けなさで泣きそうな顔をしながら、それでも寂しさを悟られちゃいけないと変な笑顔を作って、コミュニケーションは続けなきゃと何か言葉を発しようと無理に頭を働かせた瞬間、Mはソファから立ち上がり、笑顔で僕の肩を叩き、一言だけ残して立ち去ったのでした。

 

『You will be fine, man. (お前は大丈夫だから)』

 

ex27-1

 

現実問題としての再出発

 

こういう実際の成功例もあり、且つモンローでルームメイトだったデンマーク人のMCも30代で大学生を終えようとしているくらいのキャリアだったから、僕のガイドはひたすらに、”新しく何かを始めるのには遅い事はない”と伝えようとしてくれているのだとは理解ができるのです。

 

マリナも

『私は貴方のおかげで好きな事を専門にできたのだから、貴方が好きな事をしたらいい。』

っと、既婚男性では有り得ない程の自由度を貰っているのだから、さっさと好きな事に飛び込んじゃえば良いとはわかっているはずなのに、それがなかなかできないでいるのが現実です。”できない&しない”理由、言い訳を作り続けているだけなのかもしれないけれど、それ以上に僕の育った文化と、アメリカでの再出発の現状についても、理性的な判断材料としては必要なわけで。

 

”再出発”はできるけれど、”再出発は覚悟を決めたものじゃなければ”いけないと思っているのです。

なんとなくでロースクールに行ったりメディカルスクールに行ったりはできない。だからこそ、本当に自分の”したい”ことを見つけなきゃいけない。もしかしたら、あるいは、もう見つかっているのに、その”したい”ことを認める勇気と覚悟がないだけなのかもしれないけれど、それはそれでゆっくりと納得させて行けば良いんだと思うのです。

今は目の前の”すべきこと”に集中しつつ、数年内に”したいこと”に全力を向けられる様に。

 

 

さて、その”したいこと”が決まった時にどうしても問題になってくるのは、お金の問題。

日本国外での生活を考えている以上、日本で培った、言い訳を作り続ける”新卒以外は手遅れだぜ”的な日本文化は、とりあえず横に置いておいて、アメリカ国内で”再勉強”する場合のお金の問題です。

 

アメリカの学生ローンの怖さ

 

アメリカの学費の高さは有名です。州立大学だから安い……という事もなく、基本的に、レベルが高い程学費も高くなります。覚悟を決めて勉強をする場合、自分の能力の限界の大学に進む事が大切だと思うので、そうすると頑張れば頑張っただけ学費が高くなる…という流れです。

ここで金銭的に妥協して中途半端なレベルの大学に行くと、今度は就職で苦しい思いをする事になります。

 

例えば……今、マリナが働いている大学の学費は、

年間(秋と春の二学期分)で約500万円です。諸経費、んでもって生活費も入れると、余裕で600万円を超えてきます。マリナが今働いている大学は、リベラルアートカレッジ(LAC)といって、小規模の私立大学で、且つそのLACの中でもトップ大学のヒトツなので、この値段です。大学卒業する迄に2,000万円超え。学部レベルでこの金額、もう笑えません(笑)

 

例えば……今、僕が住んでいる町から一番近い有名大学(Penn State – ペンシルバニア州立大学)のロースクールに入学すると仮定すると、一年で全て含めて650万程。一般的な三年間で卒業すると仮定しても、約2,000万円。なかなか簡単に、「俺、弁護士になる!」とは言えないのです。

 

有名なハーバードのMBAとかだと、学費だけで年間750万円以上になります。ここにボストンでの生活費を考えると、年間のコストは余裕で1,000万円を超えてきます。

 

これだけのお金となると、多くの人は学生ローンを組む事になります。一部だけ……という人もいますし、全額という人もいます。僕の友達にも、30歳になったばかりで1,000万円以上の学生ローンを抱えている人もいます。統計では約60%の学生がローンを抱えている様です。

http://www.asa.org/policy/resources/stats/)

 

景気が良かった頃、また一部の超トップレベルの大学で、超優秀な成績で卒業できる人は、数千万円のコストを鑑みても、充分回収できるのだと思うのです。ただ、再出発組の30歳、40歳は、どうしてもROI (Return on Investment / 投資利益率)を考える必要があると思うのです。

 

そして、怖いのがこの学生ローンの特色。

学生ローンにも様々な種類があるので一概には言えませんが、一般的な特色として、”自己破産しても免除されない”借金となります。クレジットカードの借り入れや、その他一般的な借り入れは、自己破産によって”再出発”を許してくれるのですが、学生ローンだけはどうしてもついてまわります。

学生本人が亡くなっても、親や配偶者が払う義務をおうケースも少なくありません。

 

勿論、最初から”借金を返さない事”を目論んで借金してしまうのは最悪の行為ですが、この不安定な世の中、必要以上の不安は持ちたくないのも事実です。しかも、利率はしっかりあって、毎年膨らんでいってしまうのが借金なので。

 

ex27-8

 

じゃーどうするか。うだうだ言ってても仕方ないんじゃねーの。

 

結局は、”覚悟”の問題になるのだと思うのです。

 

だからこそ、中途半端に”興味がありそうだから”っと一歩を踏み出す事は、僕にはできません。どうしても日本から出たかったけれど、学問そのものには大して興味がなかった18歳の頃と同じ考えで再出発は絶対にできません。

だからこそ、考えるのです。調べるのです。そして、自分と向き合うのです。そういう自分との時間を作りながら、こうして文章にしつつ思いを形にしながら、目の前に具現化される日々の課題に一所懸命に向かいながら、そしていつの日か、『○○が俺の本当に”したい”ことだ』と言える様になると思うのです。

 

 

ヒトツだけ言えるのは、もし覚悟が決まっているのなら、人生をその○○とずっと過ごす覚悟ができているのなら、何かを始める事に遅すぎる事なんてのは絶対にないんだろうなっと、それは心から思える様になりました。

その機会をくれたMとMC、そして環境を整えてくれているマリナに心から感謝をしつつ、30歳からの新しい日々を楽しんでいけたらと思うのです。

 

 

……そう考えると26歳で、マリナと国際結婚するって決めた時の自分の覚悟って、相当なものだったんだなっと今更ながら気がつきます。どう考えても、リスクしかないもんな(笑)当時はマリナは無職だったし、国際結婚だし、お互いに違いすぎるくらいの性格だし。それでも、『この子と一生一緒にいるんだろうな』というビジョンが視えて、そのビジョンが覚悟を生み出したんだと思います。

 

あ、ビジョンか。ビジョン。

諸々視えるチカラも戻ってきた事だし、俺の未来を視続けてみればいいのか。何か分かってくるかも……な。

 

 

っと、話が本題からずれそうなので、今回のテーマは二回でおしまいです。久々の長文になりました。最後までお付き合い頂きありがとうございました!

 

 

 

 

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