僕たちは無力なのか。
久々に暖かい週末。少しずつ春の兆しも感じられる日差しに変化してきて。少なくとも、雪が溶けて行く様は春の兆しへの期待には充分で。
そんな穏やかな週末、嫁の心には生まれ故郷のウクライナへの憂いがあって。ソ連時代のウクライナで生まれ、10年後にはイスラエルに移住した嫁だから、それほど良い思い出があるわけじゃないって常日頃言っていたのだけど、今回のウクライナでの反政府デモは、やっぱり感情を揺さぶっているみたいです。
「今迄なんとも思ってなかったのに、突然、不思議だよね。」っていう嫁に、「そりゃ、生まれた国(場所)なんだし、当たり前だろう」と返す僕がいて。
「ホント、何もできないよね。無力だよね。」っていう嫁に、「そんな事はないはずだ。」っと強がる僕がいて。
具体的に何かを提言できる程状況や状態を知っている訳じゃないから、「まずは調べてみる。読んでみる。知ってみる」という返事でお昼は過ぎているのだけど、調べるにつれ、「僕たちは無力なのか…」という言葉にどうも苛まれているのです。
2011年の震災後の東北支援活動の中で出会った尊敬する活動家、そして特定非営利活動法人のテラ•ルネッサンス。創設者の鬼丸さんの言葉に、
という力強い言葉があります。
現地に入った僕が毎日彼と電話で、そして定期的にお会いして膝を付き合わせて語り合う中で、「無力ではないこと」を心にしみ込ませていった覚えがあります。少しずつ、乾燥した椎茸を水で戻す様に。その過程で、僕の周囲にも沢山の良い影響を与える事ができたと思っています。椎茸を戻した水で、だしを取った様なモノでした。
そんな成功体験があるのに、今回の嫁の言葉には、どうしても強く反論できなかった自分がいます。そして、「知らない」事を理由に嫁に大事な事を伝える事すらできませんでした。英語だから…という問題じゃないはずで、きっと僕自身に、普遍的であるはずの「僕らは微力ではあるが、決して無力ではない」という言葉が、日本語以外の表現で伝わりきるのか…という不安があったのだと思うのです。
暴動が起きていて、警官が公然の場で処刑されてしまう様な現状で、僕らがメディアで把握できる以上に根深い問題を抱える、このウクライナの問題に、嫁が「ウクライナ生まれのユダヤ人」だからという理由で、僕が何かできるのか…と自問自答するのです。
「できるわけないじゃないか」と思うのと同時に、「できるはずだ」と思う自分もいて。
まずは「知ること」が必要になります。なので、手に入る限りの情報に目を通したいと思うのです。と同時に、「知らない」からこそできる事もあるはずで。理想を言ってしまえば、現地に乗り込まなきゃいけないんだと思うのですが、滅茶苦茶に動く事だけが答えでもないはずで。バランスを取りつつ、できることをする。それは、こうしてブログを書くだけでもいいのかもしれません。
まずは、発見した英語のメディアを要約して紹介する事。そして、次に、僕が感じている「無力じゃない」っていう信念を、無理なく変化なく伝える事。
一人でも気持ちが変わってくれれば、それは鬼丸さん達のいう、「世界平和に一歩近づく事」だと思うから。
以下、ウクライナの従兄弟と情報交換しつつ、現状を上手く説明しているウェブサイトがあるそうなので、それを読み込んで、重要な所は日本語にて要約もしてみました。英語が苦じゃない方は是非、目を通して頂けたら。
Fascism, Russia, and Ukraine
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公開日:
最終更新日:2014/05/16