Postscript – あとがき
とても不思議なもので、三年前は全く書けなかった文章が、似た様な状況でモンロー研究所に訪れる直前に、やっとほんの一部だけれど文章として形になる事を、今経験していて。書けた文章は、充分満足のいくものではないし、僕の内面の10%も表現できていないものではあるのだけれど、それでも、全く書けなかった事を考えると、大きな一歩で。
アホみたいに「モラトリアム」とか「生きる意味」とか「感謝」とか、キーワードを縛りながら文章を書き続けているわけだけれど、ぶっちゃけた話、僕の主観からの愚痴に似た文章なんて、他の人からはきっとどうでもいい話で。同じ様な苦しみとか悩みとかを持った方であれば、感情移入してくれるのかもしれないけれど、もう既に人生を楽しんでいる人からみれば、きっと、読むのすら面倒なただの長文で。
きっと僕は、そんな「この文章を読むのなんて面倒だ」と思うような人になりたいと思いつつ、それでも「こういった文章を読んで人の悩みを理解できる様な人間になりたい」とも思う、とても矛盾した存在で。だからこそ、きっと僕は今迄6年以上も長文を書き続けてきたし、きっとこれからも、「結論がない」だらだらとした文章を書き続けていくんだろう…と思う。
書き手が結論を結びきらない文章は、時には駄文で終わり、時にはメッセージが詰まった文章となる。
僕は、どちらかを意識的に書きわけることができないから、きっとずーっと、駄文とメッセージとの間を彷徨い続けるんだろうな…と。それで良いと思っているし、それが僕の文章の良い所だとも思っているから、変化のしようがないのだけれど。
モンロー研究所やヘミシンクを始めとしたスピリチュアルな世界、超精神世界、非物質な世界に興味を持つのは、僕自身が、「自分を認められない」アダルトチルドレンだからなんだと思う。きっとどれだけ成功しても、僕は自分で自分を心から褒めてあげれることはないんだろうな…と気がついた時から、僕は「どうしたら自分を認めてあげられるのか、受け入れてあげられるのか」が、心理学的な、且つ実質の生活の上での実用的な疑問になった。
「Self – Acceptance」と、モンロー研究所に提出する書類には、二回とも書いた。自分を受け入れる事が、何よりもの最終目標だ…と。そして、自分を受け入れる為には、きっと、守護霊でもガイドでも、なんでもいいから助けが必要なんだと思う。「なんでもいい…」なんて書いてしまうと、それこそ怒られてしまいそうだけれど。
前回は欲を出してしまって、モンロー研究所やヘミシンクで、神秘的な経験をすることを最終目標にしてしまっていた。いつの間にか、ツールであるべき経験が、ゴールになってしまっていて、結果、こうして文章にするのに3年弱も要してしまった。ただ、まだ僕の中で、神秘的体験をする事はゴールでもあって、だからこそ、全てを文章にはできなくて、それでも、思い出した事を文章にする中で、とても大切な事も分かってきて。そして面白い事に、僕の人生は、『意識しようがしまいが』、その流れに奇麗に沿っていて。
論理的に考えると、僕の「Self-Acceptance (自己容認)」には、僕自身が僕を許す事が必要らしい。(by マリナ)そして、許す事とは、無条件の愛への一歩だということだった。僕がモンロー研究所で見たあの映像は、もしかしたら、この『無条件の愛』を映し出したものだったんじゃないかと思う。
「人は人生で何を求めて生きているか…」
という大きな問いに、人は、それぞれの答えを持つと思う。お金であり、名誉であり、地位であり、人脈であり。そして、きっと最終的には、「家族という大切な人たちとの繋がり」という、答えを紡ぎ出すんじゃないかと僕は思う。
血は繋がっていても家族とは呼べない人がいる様に、逆に血の繋がりが全くなくても、家族と思ってしまう人もいる。僕は、人は人生を通して、いかにこうした「血は繋がっていてもいなくても家族と思える人」と出会って行けるかが、人生の醍醐味だと思う様になった。そして、その家族と思える人と定義できる境界線が、「無条件の愛」なんだろうと思う。
母親は、母親の母性で、これからもきっと僕に無条件の愛を注ぎ続けてくれるんだろうと思う。
マリナは、パートナーとしての感情で、これからもきっと無条件の愛を提示し続けるんだろうと思う。僕もそうしていきたい。それが僕らが結婚する際に、ガッツリ話し合った数時間の中の一部分でもあるのだから。
『「無条件の愛」を手に入れる為にはどうしたらいいか?』
という、手段の説明は、今の僕にはまだできない。でも、きっと、「仕事がない」とか「お金が少ない」とか「成功したい」とか、ウダウダ日々の愚痴の中で、こうして、母親とマリナがいるから、思いっきりアホが言えているんだと思う。
そして、そのアホな文章を通して、きっと既に無条件の愛を手にしているだろう多くの人に、少しでもヒントを与えられる文章を紡ぎ続けれたらな…と。
そのためのツールとしてのモンロー研究所/ヘミシンクであり、僕なりの精神世界への興味なんだろう…と思うのです。
20代中盤からの自己実現は、家族と家業を守りたい&守ってみたいという、ちょっとした自己犠牲と、その犠牲への自己満足から発生した少し歪んだもので。まさかこの自己実現への道筋が、突然断たれるとは想像はしていなくて、ましてや予期なんてできなくて、結果30歳の今考えうる僕の自己実現は、嫁の自己実現を叶えるという、或る意味で”とても卑怯”な思いやりで。逃げてる感、たっぷりだし。
アメリカで主夫をやっている事に文句を垂れながら、マリナを引っ張って日本で一旗上げる程の根性は無く。
仕事がしたいと愚痴をこぼしながら、何かヒトツに入れ籠むだけの心の整理もついてなく。
今、この瞬間が必要な時間だと信じたいのです。仕事がしたかったら、きっとできるはず。主夫で満足できなくなったら、心から主夫という生き方が嫌になったら、きっと動けるはず。そう信じたいのです。ここまで動けないのは、ホント、初めての経験だから。
日々が惰性で流れていく…と言いながら、毎日時間を無駄にしている…と嘆きながら、それでもきっと、今僕は僕にとって大切な時間を過ごしていると信じて、それでも答えが出ない日々は苦しくて仕方なくて、だからこそのスピリチュアル。だからこその精神世界。
大切なものは、もう既に手に入れていて、
後は、その大切なものを手にする事ができた自分への喝の入れ直しとして、もう一度、モンロー研究所を訪れます。今回は「ガイドラインズ」という、自分のガイドと呼ばれる変性意識に出会う旅。そんな端から聞いたらはちゃめちゃな感じの6日間。
はてさて、どうなることやら。
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