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必要なものは与えられている。

公開日: : 最終更新日:2014/08/28 essay / エッセイ, 僕の取扱説明書




 

ふと最近、「必要なものは全て与えられているのかな…。しかも過不足なく、キッチリ…と。」と思う様になった。この気持ちの変化に、誰が一番吃驚してるかって、僕だ。

 

本来、あまり自己啓発的な本やお話は好きじゃなくて、特に文字面だけ奇麗な言葉からはできるだけ距離を置いてきた。頭を過った「今の状況で完璧 = 必要なものは与えられている」という考え方は、或る意味で僕の生き方と矛盾するから、これも自己啓発のヒトツとして、今迄は無視してきた。そうやって自分を説得して、自分の能力と努力が足りない事を認めたくないからこそ言う言葉だと思っていた。

 

「必要なものは与えられている。」

 

一昔前は、どう考えても負け犬の言葉としか思えなかった。「努力してこそ」という世界観で生きてきたし、能力もお金も地位も、すべて「手に入れる」ものであると思っていた。決して「与えられる」ものではないと思っていた。

 

だから、僕が手にしていない能力を携えた人と出会うと、尊敬と共に嫉妬を覚えていて。

 

「僕にも中国語の言語能力があれば、きっと今頃はアジアで活躍してるのかもしれない」

「僕にもプログラミング能力があれば、きっとITベンチャーでも作っているのかもしれない」

 

そんな憧れにも似たアホみたいな嫉妬を抱えつつ、と同時に『能力』を携えている人を尊敬しつつ、一歩でも近づける様に努力は重ねてきた。その結果が今の僕で、それ自体には誇りを持っているし今更後悔なんてもしていない。ただ、この感覚の変化。きっと今、僕が価値を置いていない。「僕が携えている能力」が、実は今の僕に必要な全てであって、しかもそれは「与えられたもの」であるなんて。

 

 

外国人と結婚して外国で暮らしているのだから当たり前なのだけれど、僕の日常言語は英語…だ。今迄は日本とアメリカの往復だったから、特に意識はしなかったけれど、こうして数ヶ月、そして長期を見据えてアメリカに滞在すると、この英語という言語が凄く自然に感じられてくる。道具である英語を使っている感覚がなくなって、当たり前に身体の一部になってくる感覚がある。考えなくても英語が出てくる…というか。

 

この英語のおかげで、モンロー研究所での素晴らしい体験ができた。そして、勉強も、研究すらもできる。

日本語でもモンロー研究所のヘミシンク体験はできるけれど、今回僕が参加したプログラムは英語版のみの開催。そしてお値段もちょっとリーズナブルになる。有り難いな…と思った所から、この「必要なものは与えられている」という感覚が始まった。正確に言えば、再開しただけなのかもしれないけれど。

 

 

今の僕が、何不自由無く英語を使えているのは、僕の努力があったから…だと思う。読み書きはまだ第二言語としての英語を逸しないけれど、コミュニケーションに関しては、ネイティブの人々にも劣らないという自信がある。それだけ日々発音と聞き取りの練習はしてきたし、多くの時間とお金を自分に投資してきた。

唯一と言って良い程、努力を自慢できるものが(あるいは結果が出ているものが)、この英語でのコミュニケーションかもしれない。

 

それでも、僕はアホだから、自分の持っている英語という能力を棚上げにして、僕が持っていない能力を探しに旅に出る。変な方向を向かって、違う課題で努力をし続ける。それはそれで、僕らしくていいのだけれど、ふと、僕の英語力はどこから始まったか…と考えてみた。

 

 

高校時代はお世辞にも英語が得意な、というか勉強が得意な生徒じゃなかった。

英語に関しては赤点を取ってしまう程の、嫌悪感(笑)センターも高校三年生開始時で60%切ってたからね。国立大学進学なんて無理な状況。それでも、縁あってアメリカ留学への希望と道筋が目の前に提示され(縁ある人から紹介され)そこから、英語の勉強を始めた。18歳の僕が、人生での選択という意味で、初めて真剣になった瞬間だったと思う。

 

それでも母親含めて家族全員は、僕の留学の希望を断固反対した。今の、懐が広く考え方が寛容な何でも受け入れる母親からは考えられない程の反対を受け、留学するか、家を飛び出すか…という所まで話は進んだ。その頃、偏差値50くらいのであれば行けそうなくらいの学力はあったから、ひたすら中部地方での大学進学を目の前に提示されていた。目指すは、名古屋工業大学、現実的には名城大学。そんな言葉が飛び交っていた覚えがある。

 

家業を継ぐべき3代目としては、家族も、中部地方で4年間を過ごし、名古屋あたりで経験を積んで地元に戻ってきてくれる事を願っていたのかもしれない。その気持ちは理解できるし、息子を外国に送るという母親の心配も、勿論理解できる。

 

そんな雁字搦めの状況に、一筋の希望を与えてくれたのは、実は軽蔑しまくっていた親父だった。思い出せば思い出す程不思議なのだけれど、あの時の親父の厳しくも凛々しい顔は、今でもハッキリと覚えている。そして、その親父の顔は、僕が軽蔑していた親父のだらしない顔とは全く違っていて。

 

「お前の留学、俺が許す。金銭的な事も今は心配するな。但し条件がある。日本の受験からは逃げるな。俺が受からなかった国立大学の合格通知を持ってきたら、他の家族の誰が何と言おうとも、お前の希望を叶えてやる。」

 

あの親父の言葉が無かったら、きっと僕が留学ができなかったし、苦手意識が強かった英語と一緒に生きる人生にはなっていなかった。それは断言ができる。そして、英語とアメリカでの生活がなければ、モンロー研究所に訪れる事はなかっただろうし、親父亡き後の生き甲斐のカケラみたいなものを見つける事ができた今はないだろうし、何より、マリナと出会ってないだろうし。

 

まるで、僕の未来を知っているかの様な(きっと親父は知っていたんだろうけれど)あの言葉に、僕の人生は形作られていて。それはつまり、「必要なものは与えられている」ということになってくるんじゃないかと思うのだ。

 

生きる上で、「今手にしているものが必要なもの全て」と実感するのは、まず難しい。今この時点で満たされた感覚を覚えている僕も、明日になれば、「あれが足らない、これも欲しい」っと僕の人生にケチを付け出すんだろうと思う。

 

…それでも、それでも、だ。

 

『今の僕があるのは、今迄の僕の努力の形なんかじゃなく、僕に「与えて」くれた人たちの存在だ』という事は、忘れちゃいけないことだと思う。努力は大事、だ。自分軸を中心にした努力という時間がなければ、「与えられる」機会も減ってくる。

 

ただ、勘違いしちゃいけないのは、幸せは努力して「掴む」もんじゃなくて、「与えられている事を感じる」ものだ、という事。何より、努力できる環境にあることすら、幸せであり、それすらプレゼントなのだから。

 

『プレゼント』

英語で書くと、『Present』。贈り物という意味と同時に、『現在』という意味がある。

 

そう。『今この瞬間』が、プレゼントなんだろうな。この人生を授けてくれた、親父と母親に心から感謝をしながら。

 

 

2014年8月15日に、追記としてエントリーを書きました。

【続】必要なものは与えられている。

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