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どケチの終着点。狂った金銭感覚。

公開日: : 僕の取扱説明書




 

ある程度の苦しみであれば、それを無視して自分が勝手に定めた自分勝手な課題であっても完遂を目指す当り、以前から成長してないのかなぁとも思ってみたり。それでも、頑張って働いてくれている嫁の夕飯を準備することは、当たり前の事だとは思うのです。そして、最低限の僕の責任であり、僕ができることだ、とも。

 

昨日、そんな訳で書ききれなかったエントリーの続きです。昨日書いていたエントリーはこちらから。

エピソード -1- / 狂っていく感覚と、その主観的な怖さと。

 

そして、続きは予定通り僕のここ半年間の狂った金銭感覚について書こうかと思います。どれだけ纏めきれるかはわからないけれど。

 

それだけ当たり前に狂ってしまい、それほど日常の中に狂気を持ち込んでしまっていたので。

 

主観的な「狂いきった」金銭感覚

 

日本の景気経済が絶頂だった高度成長期からバブル時代。

日本国内の観光地として有名になり出した地元で会社経営をしていた僕の実家は、その流れに上手にのって、今では信じられない程のお金を稼いでいて。「モノを作って並べれば売れた時代」があったそう。そんな夢物語の絶頂期、そして泡がハジケル少し前の時期い生まれた僕は、幼少期はお金に関しては全く不自由をすることがない、とても恵まれた環境でした。

 

欲しいものは、なんだかんだで買って貰えていた覚えがあるし、日々美味しいものを食べさせてもらっていたおかげで今でも味覚はしっかりしているし、そして何より、小さい会社ながらも「次を継ぐお坊ちゃん」的な特別扱いは受けていたのだと思います。

 

商売区域のお店と居住区域の台所が、それこそ歩いて10歩くらいの距離だったから、現金に触れた時期も早かったし、そして何より、その現金にはあまり興味を示さない親父と、その現金をずっと愛おしい目で見つめ続ける祖母の姿が、今でも強く印象に残っているのです。その頃から、「お金って不思議なチカラを持つのだな…」という想いは植え付けられたいたのだと思うのです。反面教師の親父は全く興味を示さず、世間から凄いと言われていた祖母が、心を奪われる様な目をしていたのですから。

 

 

自分で日々の全てのお金を稼ぐ様になった社会人一年目。

仕事そのものはとても大変だったけれど、その分お給料は頂ていて、日々の生活の中で「値段を気にして買い物をする」事はほぼありませんでした。ショッピングに行く時間も余裕もなかった……と言ってしまえばそれだけだけど、それでも、時間があれば外食を楽しんでいたし、少なくとも趣味だった読書への投資は一度も躊躇う事などありませんでした。

貯金の必要性すら感じていなかったのです。自分への投資が何よりも必要だと感じていたし、と同時に、当時の勤め先の”無借金経営”で一部上場企業だった職場で頑張り続ける以上、毎月のお金の流れへの心配は抱いたこともありませんでした。

 

 

その後、諸々の事情から家業を支える立場になってから、この「お金は流れるもの」という「経済の根本的考え」を自然的に身につけていた素晴らしい感覚が、少しずつ曲がって行くのです。そう、ネジが緩みだすのです。

 

僕が家業に入った頃には、すでに家業はバブル崩壊後の負の遺産を抱え込んでいました。借金です。

「お金は流れるもの」と当時考えていた僕にとって、借金は、淀んだ沼の様なものでした。そこに借金がある限り、奇麗な水の流れが作られない事になると理解したのです。と同時に、会社経営において借金という概念は必要悪(悪ですらないかもしれないですが)という事も徐々に学んで行く事にはなるのです。

 

ただ、ここで、日々の中で実際に責任を持つ数字が、数万円という単位から、数十万円、数百万円、そして家族全体で考えると数千万円という、考えた事もない責任を伴った数字へ変化していったのです。

資本金を集めて、その資本金を大きくして……という経緯を辿ってきた創業者だったり、良い時代を知っている経営者であれば、この扱う数字の大きさから、自分も大きくなった感覚を経て、自分の消費額(許容範囲)も大きくなるのかもしれませんが、中途半端にビジネスを勉強し、「理想論的なビジネス」を描いていた僕は、会社での借入金減額と同時に、自分の生活をも切り詰める様になったのです。

 

2011年の震災後の節約加減は、或る意味では狂気じみていたのかもしれません。

売上げの極度の現象に加え、僕自身も「お金の意味」を疑問に思い出していた頃、「使う事」に、そして「贅沢をすること」に”ちょっとした罪悪感”と”無為さ”を感じて、一本のコカコーラを自動販売機で買う事を躊躇し水道水で我慢したり、誘われた飲み会にも、自分が飲んだ分のドリンク代とお通し分だけ払う為に、途中参加&〆前に抜けるという、嫌らしい感じの付き合いを続けていました。

 

勿論、当時の僕の仕事量が、芽を出した海外展開への対応を始め、被災地でのプロジェクトの後押しだったりと、24時間態勢で仕事場に詰めていた…という事もありますが、なかなか付き合いにくい人間だったかもしれません。だって、肩書きと仕事量では、どう考えても裕福であっていいはずなのに、実際は相当のケチだったと思うので。

 

とはいえ、必要な事へは出費を惜しむ事はありませんでした。

高額なセミナー等の自己投資は控えていましたが、読書の為の本の購入は控える事はなかったし、「動くこと=仕事を作る事=僕の仕事」だったので、精神と肉体の限界と相談はしつつも、お金を使って動き回る事もしていました。

 

その出費には条件がありました。その出費が未来の僕の収入に繋がると信じていたから実現できていたのです。家業に戻り、直接的な上司がいなくなり(社長だった父親は僕を信頼しきってくれていたので…怒られる事も指示される事もなく報告のみで業務遂行)、僕の日々の行動が未来へ繋がると思う様になってから、僕の金銭感覚は、少しずつ、更に狂っていってしまうのです。

 

収入がなくなった後の狂気

 

親父が急逝して、家業から追い出される形になって。

強がりを言いながらも、約5年間のほぼ全てを費やした「生き甲斐」を取り上げられた寂しさと、日々の収入を得られない環境に飛び込む事の不安は、やっぱり常に心に存在していたのだと思います。その、濁った感覚の存在は認めていたはずです。ただ、存在は認めていても、その感覚が、実際に時間を過ごす中で増大して行くとは思っていませんでした。

その薄暗い感覚は、まるで菌が発酵する様に体積を大きくし、僕の価値観を徐々に変化させていったのです。まるで果物が腐ってしまうように。

 

このブログは、そんな「無職の日々」の中で始まりました。もしかしたら、その狂気を形として残しておきたかったのかもしれません。今読み返してみても、当時の「ビザの関係で無職だけれども、ナニかを形にしたい」という想いは、強がりを充分に含みながら、半年前の文章として残っています。

(参考としては、カテゴリー「30歳からのモラトリアム」をご覧下さい。)

 

 

 

 

 

その”ナニか”は、当時も今でも心の隅で疼いてはいて、日々少しずつは前進しているのだけれど、すぐには形になるものではなく、そして形になったからと言ってお金が発生するものではなく。完全に自己満足になってしまう可能性があるものなのです。「それでも、僕の人生の課題として」形に残したいという想いと同時に、どうしても、「お金を得て存在を認められたい」という想いも強くなってきて。

 

少ないけれども収入は得ていて、無収入ではなかった家業の後継者としての日々。

無職となり、無収入となり、そしてアメリカに滞在している以上(グリーンカードは申請中だけれど)、今この時点では働く事ができないという日々。

 

その中で、僕が無意識に出した答えは、「完璧な主夫になる」というものでした。

 

日々の食事、マリナの外食の変わりのお弁当、掃除、選択、庭の手入れ、大工仕事……、一般的な家事は当たり前としても、外注しても不思議じゃない様な”家に関する仕事”は僕が自分から担当していました。それもこれも、外注をお願いすると発生する費用を”節約する”為。マリナも僕の料理が好きだし、「淳がやりがいを感じるならば…」と、家庭の責任者になることには、賛成はせずも、認めてくれていました。

(マリナとしては、そんなに深く考えないで、無職の時代を楽しめばいいのに…と言ってくれていました。この意味を本当の意味で理解するのに半年必要だった…ということかもしれません。)

 

日々の出費を抑えるだけであったなら、この節約志向は、健全な節約主夫で話が終わっていたのだと思うのです。

ただ、僕の「数字での結果」を出したい性格は、ある時から、常軌を逸脱します。逸脱していた事すら気がつかない半年間の始まりなのです。

 

 

結論から言ってしまえば、僕は、2013年迄僕が得ていた収入の内、マリナとの夫婦生活で使っていた可処分所得を、マリナの毎月の収入を僕が管理して節約する事で、作り出してしまおうとしていたのです。お金が入ってこなければ、出ていくお金をコントロールする。ある意味では当たり前の節約生活が、「節約=僕の収入」と、事実とは違って、完全に歪んだ姿で形成されてしまっていったのです。

 

 

思い起こせば、っていうか普通に思い出しても、良くマリナが見逃してくれていたな……という程の奇行の数々。

マリナとは、お互いに違った環境で育ってきたという背景もあって、傷つく事ではない限り、あまり価値観を否定しない様にしよう…という夫婦協定があって、その為、強くは言わずに、「これも必要なプロセスなのだろう」と見守ってくれていたようです。勿論、ちょくちょく言葉では、「変だよ」って促してくれていた様ですが、僕自身聞く耳を持っていなかった為、覚えてすらおらず。

 

一度ブログで紹介した例も含めて、一例を紹介すると……

 

  • 外食は限りなくゼロ。マリナのお昼ご飯も、「できれば外食は……」と僕がコントロールしようとして、変わりにランチボックスを準備する始末。
  • 月々の食費のMAXは二人で20,000円。食材は絶対に捨てず、使い切る献立で回す。
  • 特に仕事もないし、友達とつるむのもお金かかるし……と携帯電話を解約。
  • 僕の好きなお菓子(スナック)とか嗜好品を排除。禁煙成功。禁酒はそのまま継続。珈琲だけ継続。それも6月には完全断ち。
  • とりあえず、買わない。外出も控える。

 

っと、ここまでは、”まだ理解も可能……”なレベルなのですが、この節約レベルを少々超えます。お恥ずかしい話なのですが、ご紹介。

マリナの福利厚生の一部の、「配偶者も大学の施設をフルに使ってOKだぜ」を利用した、グレーな節約方法です。可愛いものだと思って、恥ずかしながらもご紹介。

 

  • 冬の室内温度設定は16度MAX。これはマリナが家に居る時の温度で、マリナが居ない時はOFF。耐えられなくなったら図書館へ。
  • パソコン、ガシェット等は、図書館で充電→家ではアダプタ無しで使用。
  • 燃料を多量に食うシャワーは家では浴びず、ジムに運動がてら&運動帰りに浴びる。外が-20度でも。帰りの頭がガリガリに凍った事も(笑)
  • ペーパータオルは、汚くなる(汚いと判断できる)まで使い回す(←笑えない)
  • ガソリン代を節約するために、ちょっとくらい距離があっても、歩く。

 

実はもう少しエグいのもあるのですが、その紹介はまた別の機会に…。

 

 

上記の様に徐々に悪化していた節約ですが、日々を楽しまずに毎月の予算を管理する事での数字だけを楽しみにしていた日々を作り出していたのです。3月、4月頃には習慣となり、5月以降は逆に当たり前となってしまった、この狂った金銭感覚。1ドル(100円)が重たくて仕方なくて、マリナが当たり前に使う毎月の予算すら、苛立ちを感じてしまう様になってきた6月。この価値観を考え直すきっかけができたのです。

 

そのきっかけの後、一人の世界に閉じこもり、心の整理が出来た後、マリナとゆっくり話す機会を持ちました。

「あまりにもお金を使わない事を美化する生活は、やっぱり心が狭くなるよ…」というマリナの言葉と共に、僕は、もう一度当たり前の世界に戻ろうと決意するのです。リハビリ……と言えるのかもしれません。或る意味では、節約は、麻薬の様に脳を支配していましたから。その根源には、恐怖……という、幼少期から積み重ねられてきた未来への不安と、対象の存在しない責任感があるのですが。

 

 

このブログに続いて、価値観を考え直すきっかけになった、マリナ曰く”ぶっちゃけどうでも良い”、僕からすれば”本当に情けない”出来事について書きます。その出来事を紹介した後、心の修行だった一人の世界での引きこもりと、マリナとの話を書けたらいいなっと思っています。

 

 

長くなり……ます。相変わらずで恐縮ですが、よろしくお付き合い頂ければ。

 

 

 

 

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