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次元上昇と、おおまかな変化について




先日のブログに書いた、「意識の次元上昇」についてのお話。今回は具体的に、どんな変化を僕自身が想定しているかをご紹介できればと思っています。

ちなみに。ちょっと偉そうに、「俺、知ってるぜ!?」的な文章を書いてしまっておりますが、「お伝えしたい」という思いからとご理解ください。僕自身はアセンションに上手に乗っかっているというよりは、「興味もあるし日々敏感になろうとしているのだけど、なかなか修行が足りず、思いっきり振り回されている状態」、だとご理解ください(笑)。手相がぐっちゃぐちゃになって、ビビっている程なので。

以下ご説明する変化と心構え的なものに関しては、自戒の意味も多分に込められています。少しでもお力になれれば幸いです。

権力の変化

一番大きな変化が、この「権力」の変化かなと思っています。現代の(までの)地球では、この「権力」がとてつもない影響力を持っていました。権力が上下関係を作り、システムを作り、また人間らしさを忘れる(忘れさせようとする)世の中にしていたように思います。権力者(コントロールする側)にとっては、そっちの方が便利ですしね。

権力のチカラの根本は、「失うことへの恐怖」と、その恐怖心を支えるする「お金の存在」です。一例を出すと、不条理な上司の言うことを聞かなきゃいけないという権力とその葛藤。それは、「日々過ごしていくお金」を失うことへの恐怖であり、また社会システムへ反発することへの恐怖です。

現社会では、「お金を持つ」ことに、あまりにも力を(僕たち人間が)与えすぎてしまい、「お金を払えば、人間性なんてどうでもいい」的な考え方が蔓延しています。対価を払い、その対価への要求があるのは正当なことです。しかしながら、その裏に少なからず存在する、「お金でほっぺたを叩いて、言うことを聞かせる(お金を払ったのだから、自分は正義だ)」的な考え方が、この意識の次元上昇によって変わってくると思っています。

今後も権力は存在するでしょうが、その権力の源が変わってくると思うのです。純粋な好奇心や興味、そして「好きだ」という気持ちによる、「結果としての権力」に変化するような気がしています。「強制力ありきの権力」ではなく、「誰かの力になれる力が結果として権力になる」という表現が一番近いかもしれません。

今、権力を持つ側にいる人は、「人間性を尊重する影響力の使い方」を意識するといいでしょう。恐怖心で縛っているだけの権力は、その拘束力を失った時に、何も残さないどころか、恨みすら買ってしまいます。自分に力があることを感謝しつつ、どうやったら循環させることができるのかを考えると、きっと素晴らしい変化の過程を進めると思います。

今、権力を受ける側(恐怖を感じる側)にいる人は、「現在の恐怖に基づいた権力が変わる」ということを「知る」だけで良いと思います。次元上昇が始まったからといって、「明日、気の合わない上司がいる仕事を辞める」というのは、短絡的な、これまた違う形の権力(個人の自由という切り札)を使った選択肢です。権力が全てではない世界がくるかもしれない……と準備をしつつ、その世界が来た時に、「誰かに従わなくていいのであれば、自分は何ができるだろう。何をしたいのだろう。」と考えておくことが、今できる最良の方法だと思います。

「権力者になりたい」という思いの先にあるのは、「失う側になりたくない」という人間的な考えです。その恐怖心は否定しませんし、否定できるものではありませんが、同時に「奪うか奪われるか」という、「失うことが常識」の世界が変わっていく可能性があるとご理解頂ければと。

奪われない世界が来た時は、与えられますし、共有もできますもんね。本当にそんな世界に人間が行くかはわかりませんが、少なくとも地球レベルでの意識は、そこに向かっているような気がするのです。

 

 

 

正義の変化

僕たち人間は、「正しい」と思うものを信じて生きています。法律にしろ、倫理にしろ、恋愛にしろ、はたまた食事一つに関しても、なんでも、「正しいか間違っているか」という問いかけをし、”できるだけ”、正しいものを選択するようにしています。正しさは「正義」を定義し、そして間違いは「悪」と分別されがちです。

実はこの正義か悪かという話は、それほど高次元の話ではありません。生きる為に、人は正しいか間違いか、正義か悪かを明確にした方が楽だから、コントロールしやすいから、習慣として行っている行為です。本来、正義も悪も、物事を観る角度を変えれば、定義そのものが揺らいでしまうような、儚いものなのです。

大雑把な例で言えば、戦争中は、「悪」とされる敵国の人を殺すことが「正義」となります。しかしながら、戦争が終わってしまえば、その「殺人」は間違っていること=「悪」として、処罰の対象になります。今日と明日という、たった一日の違いでも、上記の条件が違ってしまえば、正義は悪になり、悪は正義になりえてしまうのです。これは往々にして、「権力を持った人」が、「権力を持たない人」を上手くコントロールする為の手段だから……と僕は理解しています。

人は、「自分は正義だ」と思った時、人間性を忘れる程に残酷になれます。正義も悪もない状況だったら機能するであろうモラルや倫理が、「正義」という理由付けと共に失われ、そして、信じられないような残酷さを導いてしまうのです。

 

「権力」が変化することにより、この「正義」が変化します。

「正しいか間違いか」で価値を見出していた人達が、この二元論ではない世界の存在に気が付くのです。このプロセスは日本人が(しかも田舎に住んでいる日本人の方が)早いかもしれないと思っています。

 

「中途半端」という言葉があります。ネガティブなイメージであるとは思いますが、この白でも黒でもなく、正義でも間違いでもない、宙ぶらりんであり「完全ではない姿」が人間であり、本来の人間の目的は、「完全ではない半分以下の切れ端である道半ばの存在をお互いに埋め合う」ことだと思っています。一個人で完全になろうとするのではなく、集団として補って支えていく。そこに「正義や悪」は入り込めず、「お互いを支え合う心=感謝と思いやり」が大きな力になるのではないかと。

 

価値観の変化

「正義」が曖昧になり、「権力」が瓦解する。

そうすると、生きる上での価値観が変化してきます。一番身近なもので言えば「お金」に対する価値観が、少し変わってくるように思います。というか、この「人間が作り出した貨幣制度の産物である、お金という価値観への執着」から人間が脱却した時に、次元上昇は次のステップに進むんだと思っています。この、お金という執着からの脱却については、様々な場所で、様々な人達が活動を通して伝えているメッセージだと思うので、もっとわかりやすく触れられる機会があると思っています。

 

「お金で幸せは買えないと思うけれど、でも不幸せは回避できる。」

 

これは、僕がずーっと抱き続けている、僕の「執着」です。(昔はお金で幸せを掴むもんだと思ってましたが)。

 

お金は必要なもので、それは大切なものを守る為に、そして不幸せな出来事から身を護る為に、必ず「お金を手に入れる力(稼ぐ力)」が必要だ。

 

と正直な話、この文章を書いている今ですら、思っています。これが僕の現状のお金の価値観であり、お金には価値が存在します。同時に、もし「不幸せは起こらない」と意識が納得したら、きっと僕はお金を手放すことができると思います。「幸せは見つけるものじゃなく感じるものだ」と、少しずつ意識が変化している今、「不幸せを回避できる」のであれば、そこに余分なものは必要ないと思うからです。

 

まだまだ僕自身、意識変化の道半ばです。いつ始まったかは微妙に感じますが、いつ終わるのかは、僕自身わかりません。このブログを書きながらも、度々頭がグワングワン回る感覚に襲われています。それが良いのか悪いのか。それすらもわからないのですが、ただ、望む望まないに関わらず、今、気を受け取っている地球の意識は上昇気流に乗った……と言えると思うのです。

 

感謝と思いやり

2012年前の世界は、「勝つか負けるか」が、価値観の中心に存在した世界でした。テクノロジーがそれほど進歩せず、「共有」という価値観においても、小さな自分のコミュニティーを守ることが優先され、その為には、競争において勝つことが何よりもの正義であり、正解だったわけです。

インターネットが、その価値観を覆すきっかけを作り、そして地球レベルでの意識変化が、人間性を「取り戻そう」としていると思っています。

 

「便利になりたい」という欲求は、とても人間らしい感情です。人は、少しでも便利になるため、イノベーションを繰り返し、今の社会の生産性の恩恵を受けられるようになりました。しかしながら、そのイノベーションは今、「産業革命時代の効率性を高めたイノベーション」とは少し違い、「過剰便利という名の人間ではない何か」への変化の言葉として使われるようになってきているような気がしています。

インターネットはとても便利です。ただ、AIが人間の代わりをする世の中が、人間らしいとは僕は思いません。人間がもし、「横になっているだけで全てが完結する(衣食住の欲が全て満たされる)」状況を「幸せ」と呼ぶのであれば、それはもう人間ではないような気がするのです。地球の資源を使ってエネルギーを作り、そのエネルギーと電気によって、回路を動かし、そして人間の手助けではなく、意識すらも「無機質なもの」に任せてしまう。もちろん、AIも気が入れば意識を持ち出します。ただ、やはり人間とは一線を引いてみるべきだとは思うのです。

人間とは葛藤があり、喜怒哀楽があり、マズローが定義したような欲求の段階を一つずつ駆け上がっていき、最終的に「人類の為に個を犠牲にする」プロセスこそが、人間の「喜び」なのではないかと思うのです。(なお、もしAIが意識を持ち、同様な考え方をするようになったら、今後は「人間とは何か」という定義が必要になるので、今回は触れないようにします)。

 

「喜び。」

それはつまり、自分以外への「感謝と思いやり」であり、他人から受け取る「感謝と思いやり」が循環することです。その言葉にするだけで温かい循環で、人は人間性溢れる生活になるのではと思うのです。

地球は、意識レベルで「持続可能」を求めています。環境的な持続可能なエコシステムは勿論のこと、輪廻転生をも踏まえた持続性を望んでいるように思うのです。それは地球が地球であるための、大切な一歩だとすら思うのです。

 

共有というキーワード

感謝と思いやりという言葉が導き出す、最終的なキーワードがあります。それが「共有 – Share」という言葉です。

地球は、その地球に生きる全ての人間の共有財産です。その共有財産が意識レベルを上昇させているのだとしたら、それは財産を共有する全ての人間において求められる(望む望まないにかかわらず突き付けられる)意識変化なのではないでしょうか?今、この世の中で、「私は地球と関わっていない」という人はいないはずです。もう既に、「共有」はしているのです。

だからこそ、もっと「共有」という意識を強くもって、「勝ち負け」でも「正義と悪」でもなく、一緒に喜べる日々を作っていくことに意識を向けるのが、次元上昇で苦しまない方法なのかなと思っています。

 

 

追記:要は周波数

なんて怪しい文章なんだ……と思われるかもしれません(笑)スピリチュアルだ、精神世界だ、と話を膨らませておいて言うのもなんですが、僕自身、まだ半信半疑な部分はあります。

ただ、頭がフラフラしたり、目が回ったり、手相が急激に変化したり、変わらないと思ってた価値観が変わったり……と実際の肉体的、精神的変化を見たり感じたりすると、「ふむ〜。信じざるをえないかな」と思ってしまうわけです。

 

上記文章にしたことは、瞑想中に思ったことを中心に、後は「手に書かせている」状態です。事前に内容を推敲することもなく、書いた後に少しだけ読み直して誤字脱字や意味が通じないところが無いかをチェックして、そのまま公開しています。頭を通しては書いていないような感じです。(小説家の先生のイメージのような、書いては消し、原稿を丸めて捨てるっていう感じに書き方じゃないです。そんな考えられた文章に憧れはありますが。笑。)

 

「手が書いている」と言っても、それはどこかで見聞きした文章なのだと思います。本で読んだ、誰かから話しを聞いた、どこかのテレビでみた。誰かの受け売りも多いでしょう。そんな第二次的な情報と同時に、すこしは「意識から降りてきた」という僕が紡げる一次情報もあると思うのです。どの情報が見聞きした情報で、どの情報が降りてきた情報かをしっかり線引できるほどの記憶力も能力も無いので、こうして文章にする時は、書いていて「違和感と嫌悪感」がないものを書くようにしています。

 

前世。過去生。守護霊。オーラ。

スピリチュアル。精神世界。幽体離脱。

 

僕は全て、「周波数と波長」で説明ができると思っています。少なくとも、説明ができるように挑戦したいと思っています。それが、見えてしまうことがある自分の宿題であり、こうして文章にする際の責任でもあると思うのです。

詳細は過去のブログを読んで貰うとして、簡単に説明するとすれば、僕はラジオのようなもので、上記の精神世界は「実際には飛んでいるけれども、ラジオがないと聞けないFM番組」みたいなものだと思ってもらえれば、一番はやいかなと。ラジオ番組は、ラジオがないと聞けないですよね。でもラジオがあると楽しめる。雑に説明すると、俗にいう「見える人」は、その周波数をあわせられる技術があるんです。僕は……まだまだ未熟なので、周波数をあわせるもピッタリ合わせるだけの制度がないので、壊れかけのラジオみたいな感じでしか、物事をお伝えすることができませんが。

それでも聞こえるし、見えるものはあって。だからこそ、お伝えしていこともあって。

なんとか文章にできてよかったです。忙しい日々で、ゆっくり瞑想する時間も、こうして手を動かして文章を書く時間も確保しにくい(頑張って確保してますが)中で、少しでも僕が感じたことをお伝えできていれば幸いです!

 

 

ここ数日で劇的に変化した僕の手相です。ビフォアーの写真を撮っておけばよかった。それぞれの指の下に現れた斜めの横線。これ、2週間前は存在すらしてなかったのです。縦線ばかりで(多すぎるのはご愛嬌として)、結構自分の手相は好きだったんですけどね。横線は良くない相とも言われますが、これがどういう変化を伴っていくのか……さてさて。

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