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前書きと、僕なりの科学的解釈




 

ながーい前書きですが。

アメリカ、バージニア州にあるモンロー研究所に初めて訪れたのは2011年の夏の事でした。

 

日本で震災を目の当たりにし、地元で何かできる事はないかと我武者らに動き、それでも嫁がいるアメリカに一度は戻らなきゃと戻った後、一ヶ月もしない内に、日々の生活が不安で充たされてきてしまって。「僕はなんの為に生きてきているんだろう」なんていうモラトリアム的な考えが、それまでの人生で固執し続けていた「勝ち抜く生き方」とか、お金に対する異常なまでの執着を徐々に浸食して行って、実際に被害があった地域に住んでいたわけじゃないのだけど、身体がバラバラになりそうな悲しみと不安、そして寂しさに襲われたのが2011年の6月頭。

 

ふと思い出した、学生時代に本で知った、「モンロー研究所、そしてヘミシンク。」

特別な音声を掛け合わせる事により、音をガイダンスとして意識を変動させるという技術。スピリチュアルな精神世界の近くに意識が行けるとの事で、沢山のその分野での大御所の人も紹介しているし、ヘミシンク専門の書物も出ている、ある意味とても有名な、リラクゼーション&自己啓発方法。

 

ふと思い出したついでに、インターネットで調べてみると、なんとバージニア州にあるじゃありませんか。丁度、2010年の秋口に、当時結婚した嫁がバージニア州に引っ越していて、僕のアメリカの住まいも偶然バージニアになっていて。結婚してるから当たり前だけれど。

 

「同じ州でもそんなに近い…という訳じゃない。でも、車で行っても大した距離じゃない。苦しかった仕事も徐々に結果が出てきて、一回行ってみるくらいの貯金はある。今のまま、苦しみ続けるよりは、藁をも掴む気持ちで取り敢えず行ってみようじゃないか…。」

と行く事を決断したのは、6月末の事でした。

 

 

その6月末から、不安を押しのける様に、ヘミシンクと僕との関係が始まります。

当時の僕は、「モンロー研究所&ヘミシングで体外離脱経験ができた!」という様な紹介や本の記述の記憶があっただけで、「ヘミシンクは一度も試した事ないぞっ」という超初心者でした。「*GATEWAY VOYAGE」というCDセットが販売されている事も知らず、てっきりモンロー研究所に行けば、それなりのスピリチュアル体験をして、その当時の苦しみから逃れられるんじゃないか…と安易な気持ちで申し込んだモンロー研究所への一歩。

当時は一枚もヘミシンクCDは持っていなかったし、加えてどうせ本場に行くのだから…と一枚も購入せず、ヘミシンクの練習もせず、創設者のロバートモンロー氏が書いた一冊の本だけを、なんとか読んで、中途半端な理解でモンロー研究所に向かったのでした。それが2011年の夏、8月。

 

坂本政道さんの有名な著書、「死後体験」という本は学生時代に読んでいて、また船井幸雄さん著書での紹介で、ヘミシンクに凄く興味があったのは事実で。でも、その興味を行動まで結びつけるだけの機会も、資金力も、そして時間も、その2011年の8月迄は訪れませんでした。「人に見えないものを見えるようになりたい」という、今考えると少し邪な考え方じゃなく、「困ったぞ、どう進んでいいかわからないぞ。」という様な瞬間だったからこそ、掴む事ができた糸だったのかもしれません。

 

 

モンロー研究所。

結論から言うと、体外離脱の体験はできなかったと思います。「思います」と書いたのは、僕のイメージする体外離脱の体験は”覚えてない”からです。特別な、それこそ人形のカタチをして名前を持ったガイドに会えた訳でもないし、ましてや未来が見えた訳でもありません。その6日間の非日常の中で得たことは、「僕にとって大切なものとは何か」という、人生の生きる意味が、それこそボンヤリとだけど、掴めた事にありました。

「問い」を持って研究所を訪れると、その「答え」を導く事ができる場所なのかもしれません。少なくとも、その導きを手助けしてくれるのがヘミシンクであり、そこに世界中から集まる参加者なんだろうな…と。その場で出会った人々は、今でも連絡を取る、きっと深い縁がある友達です。

 

文章にしたいのだけれど…

モンロー研究所から帰ってきた僕は、その体験記をなんとか文章にしようとしていました。

「駄文であれなんであれ、言葉にしてしまえ…」っとパソコンに向かったのですが、長文をダラダラ書くのは大の得意なはずの僕が、どれだけパソコンの前に座っていても、何も言葉が出てこないのです。苦し紛れに、奇麗な言葉を並べてみても、全く響かない文章で、書いている僕ですら読みたくなくなるような文章。これは駄目だ…と書いては消し、新しいタイトルで書き出しては途中で投げ出し…を繰り返して、結局、何も残す事はできませんでした。

 

当時はショックを受けたものです。「どうして、文章にできないんだろう…。伝えたい事がきっとあるはずなのに、残したい事がきっとあるはずなのに」と強く思いながらも、ずーっとパソコンの画面を凝視して固まってしまうかのように、何も文章が書けませんでした。

 

今、こうして当時を、まるで昨日の事の用に思い出しながら書いているのが不思議なくらいに…書けなかったのです。今だからこそ、書けるのかもしれません。「今」がタイミングなのかもしれません。それでも、全てを表現できるとは思わないですが、言葉として残せたらと思っています。

 

精神世界…とは何ぞ?

 

具体的な体験記を書く前に、僕なりの、ホント僕個人としてのヘミシンクや精神世界への理解…というものを紹介させて下さい。精神世界もスピリチュアルのお話も、過去生の話も、守護霊の話も、ぜーんぶ大好きですが、基本的に論理的に説明できない and/or 自分で体験してみない…と納得しない性分です。

母親に、多少の不思議な力があって(たぶん、オーラをまき散らして歩いているタイプ。手からは良い感じのヒーリング系のが出ていると思います。)その能力には小さい頃から触れていて。幽霊とかも、なんとなーく母親が教えてくれたりしたこともあって、

「自分ではハッキリ見えないけれど、信じない理由もないか…」という程度の理解。

 

それが、17歳の時、ちょっとした心霊体験をした後、何かに憑かれたかの様に、自宅の仏間から一歩も外に出られなくなりました。当時を振り返ると、その心霊体験は守護霊さんが僕も守ってくれただけの事だと思うのだけど、その「仏間から出れない」という現実に、僕も母親もパニックになり、地元にある有名なお寺に駆け込む事になりました。そこは、「透視と念視」で有名なF博士の研究を続けていらっしゃるお寺で、そこの住職様に、

「もう、憑いてない。だからこそ仏間から出れたんだろうけれどな。もう何も無いけれど、次回何かあったら私を呼びなさい」と優しい言葉を懸けて頂き、続いて「私のところで勉強する気はないか?」

と17歳の僕にスカウトちっくな事をして下さったのを覚えています。

 

「…17歳でお寺の住職の下で勉強するって…花の大学生活が…」っとそれまた浮き世の事を考えて、その時はお断りをしました、その一年後程に、その住職様がお亡くなりになられたと聞き、縁とは不思議なものだ…と感謝を込めてお祈り致しました。

 

今更ながらよくよく考えると、なんとなくオーラが見える様になったのも、その頃からかもしれません。髭を剃った後が一番分かりやすいのですが、肌の周囲にぼんやりと2cm 〜 5cm 程の白い層が見える様になったのです。「剃り残しかな…?」と思ってカミソリを当ててみても、そこには何もなく、白いボヤが見えるだけ。

当時の僕は、遅まきながら一丁前に電気シェーバーとカミソリを使い分ける様になった時だったから、使い分けるとそういう風になるんだな…なんて解釈していた記憶があります。今考えると不思議。

 

さらに、今更ながら良く考えると、モンロー研究所に行ってから、僕以外の人のオーラに色を付けてみる事が出来る様になったり、なんとなくその人の事がわかる様になったり…と、いろいろ変化してるんだな…と。今更ながらですが(笑)

 

物質は波(波動)だぜっ という前提で。

 

そんなオーラも、幽霊も、守護霊さんも、過去生も、そして未来さえも、僕は「波動」が関係していると思っています。僕は「物質は全て波である」という理論を信じていて、そうすると質量とかどないやねん!っていう突っ込みへお答えは持ってないのですが、それでも「粒子と波動の二重性」でなんとか説明できるんじゃないか…と思っています。

 

「物質は全て、それこそホントに全部が波で、波動がある」

と仮定して考えると、後は、

「その波を僕らが五感で感じる用に、僕ら自身をチューニングすればいいんじゃね?」

と僕は考えたわけです。

 

物質の持つ固有の波や、オーラ、幽霊、守護霊、過去とか未来とかが持つ時間軸(この場合は光だけれど)が全て波であって、しかしながら、固有の波長を僕らがチューニングして変化させる事は不可能に近いから、もっと簡単に、僕らがその波長を読み取れたり、聞こえたり、見えたりする様にすれば良いんじゃないか…と思っています。

 

そう。まるで…

 

可視光線の赤から紫の間の波長以外にも、紫外線や赤外線といった、通常の目では感知できない色の波長がある様に。

イルカやこうもりは聞こえるのに、僕ら人間には全く聞こえない超音波がある様に。

 

波長であるならば、そこには振動数(frequency)が必ずあるはずで、その振動数のパターンさえ意識的に覚えてしまえば、後は似た振動数を僕ら人間が感知できるレベルに落とし込んでいけばいいんじゃないか…と思いながら、不思議な体験を「怖がらずに、且つ当たり前の様に」解釈する様にしています。

音で考えると、「ドの音」のオクターブは振動数が似ています。でも、あまりにも高音(あるいは低音)の「ドの音」は僕らには聞こえません。でも、そこに「ドの音」は存在しているはずです。色も一緒。日々の生活は色で満ちあふれていますが、見えている色以上の、目が認識しきれない波長がゴロゴロとあるはずなのです。

そして、その違う波長で形成された世界こそが、パラレルワールドであり、過去であり、未来である…と。死後の世界も、幽霊さんがいる世界もここにあって、その波長へ一歩踏み出す事こそが、精神世界とかスピリチュアルに進む一歩だと。そして、その一歩を踏み出すためには特別な修行が本来いるのだけど、音声ガイダンスを使って、半ば強制的に僕らの脳に「波長の倍数の認識方法」を教えてくれるのが、ヘミシンクじゃないか…と。そんな風に思っているのです。

 

矛盾もあるかもしれないし、まだまだ勉強不足なのですが、基本的にはこんな感じで理解しています。誰にでもできることだと思っているし、ましてや才能とか特別な人に与えられた力だ、とは思っていません。生まれつき、感受性が高くて、性能がいいラジオみたいな人はいるとは思います。それでも、どんな人でも、練習さえ積めば、オーラもなんでも見える様に、そして聞こえる様になる。そう思っています。

 

僕自身が練習中だし、まだまだ上記の様に断言できるだけの結果は得ていないのですが。

 

* 大学ではビジネス学部を専攻してます。高校では一応、ほんと気持ちばっかりの理系でしたが、数学も物理も点数が取れませんでした。でも考え方は好きで、上記のアイディアは、趣味で読んだ本を寄せ集めただけの考え方かもしれません。致命的な間違いがあったらご指摘頂けると嬉しいです。こちらに知識が絶対的にないので、具体的な議論には進めないですが…(笑)

 

 

さて、前書きが凄く長くなってしまいましたが、上記を踏まえて、モンロー研究所での一回目の体験記がやっと書けそうです。2年半越しの文章化。そして、紆余曲折をへて、またモンロー研究所に向かう事になった2014年3月、約一週間後にガイドラインズというプログラムを控えた僕の、モンロー研究所体験記です。

 

 

 

前書きと、僕なりの科学的解釈

2011年の夏に体験記が書けなかった理由

『ゲートウェイ・ヴォエッジ』in 2011

Part. 1

Part. 2

 

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