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中道を生きる。

公開日: : BLOG, ざわざわ感が凄い年に




前回、「続きます」と書いてから、もう5ヶ月。

ごめんなさい。文章は続きませんでした。またまた自分のことに必死になり、”ざわざわ感”と馴れ合いつつも、文章にして表現することができずにいました。でも、諦めたり終わったり、はたまた完了したわけではないのです。時がズレただけなので、また続きを書くと思います。遅かれ、早かれ。今回みたいに。

 

期待してくださっていた方、申し訳ないです。ごめんなさい。

でも、この微妙な更新頻度が僕らしさとご理解頂ければ、本当に嬉しいです。

 

さて。

 

正義か悪か | 正か偽か

前回書いた社会の変化の移り変わりのヒトツに、この「正義か悪かを区別することそのものが、魂レベルの本質からズレている」というものがあるように感じています。ざわざわ感がある時は、たいてい「私の選択肢は正しいのだろうか」という、正か偽か、正しいか間違っているかを気にしている時なのです。腹さえ決めてしまうと、自分の行動は常に正となる為に、二元論で考えなくなります。というか、他人が客観的に判断する正か偽かはぶっちゃけどうでもよくなります。そして許容範囲が広がり、ある程度のグレーゾーンすら認めることができるようになるのです。

 

この二元論の範疇を超えた考え方を、中道としています。

「別に結論出さなくても良いんじゃね?(なぜかと言えば、自分の中での軸は既に決まっているから)」という生き方ができれば、ざわざわ感じることも少なく、またブレることもありません。社会的に間違ったことをすれば批判を受けることもあるかもしれませんが、そういう場合でも、自分の芯さえ決まっていれば案外なんとかなるものなのかもしれません。

 

物事は、見る角度によって、違う表情を見せます。

 

宗教しかり。社会しかり。人間しかり。

捉える角度を変えれば、天使にも悪魔にもなる。その「本来は同一のものであるはずの存在」に正義と悪という考え方を付随させることで、争いだったり妬みが生まれます。

 

手仕事文化を通して

 

小さい分野ながら、僕自身、「刺し子」という手仕事を通して、この「正」と「偽」を定義し続ける社会の矛盾を感じています。

この二元論が当たり前になった社会では、「正しい方法」と「間違った方法」が浸透してしまっていて、どんな物事に関しても「何が正しいのか」を追求してしまうのです。そして間違った方法をしていれば、是正しなければという考え方になります。間違いを楽しむ……という余裕はなく、逆に問題解決能力(論理的解決能力)が求められてしまうのです。

 

昔は論理的思考&問題解決能力をひたすら磨こうとしていた僕ですが、俯瞰的にみてみると、なんか寂しい気すらするのです。

 

長年の経験がある「刺し子」においては、ある程度自分の芯がはっきりしてきているので、「刺し子には、正しい刺し子も間違った刺し子もないぜ!」っと、配信でもウェブでも断言できる程には、自分を持っているのですが、刺し子に関連しつつも自分の知識だったり経験だったりが不十分なときには、少し迷ってしまうのです。ブレてしまうのです。

 

これで良いのかな……と。

自問自答は大事。でも、そこで折れてしまわないことは、もっと大事です。

 

 

例えば藍染め。

私達は、藍染めの刺し子糸を染め、販売しています。この藍染めについて、質問を頂き、自分の知識を確認するためにネットの世界に数時間ほどのめり込んだら、結構な数の「正しい藍染め=正義」と「大量生産の藍染め=悪」と定義する文章を見つけることができました。これらの文章を、「間違っている」と書いてしまうのも、また二元論なので、そういう考え方もあるんだなと思いつつ、「判断しないことの大切さ」を今後、前面に出していきたいと思うのです。

 

正藍染めと言われる日本伝統的な藍染めも。

大量生産のニーズに合わせて化学的な最適解が出された藍染めも。

両方、同じだけの正義を持っていると思うのですよね。それを見る角度を無視して、正しいと間違いと書くのが、この社会の今なんだなぁと。これも間違ってるわけじゃなく、そういうものなんだと流せるだけの許容範囲を持ちたいものです。

 

 

判断しないこと | Don’t Judge (Yourself)

 

「判断しないこと」とは、実は英語からの日本語訳です。

“Don’t Judge Yourself”という英文が好きで、刺し子を教える際にもよく使うのですが、どうもこのニュアンスが日本語だと表現できない。「自分を枠に入れるな……」とかになるのかもしれませんが、この「判断しないこと」は、また別途、文章をひねくりまわして紹介してみようとも思うのです(いつになるかわからないけれども)。

 

さて、この「判断しないこと」は中道を実践する上で、とても大切なことです。

 

現代人は、日々の中で、毎日の行動を「正しいかどうか」で判断して行きています。正しいか間違っているか。善か悪か。正か偽か。

間違ったことをするのは良くないので、そりゃ日々正しいことだけをしていければ良いのですが、尺度も違うし、定義も微妙に違ったりして、なかなか全てを”的確に”判断するのは難しいのです。(法を犯すのは絶対的な間違いなので、この範疇には入りませんが)。

 

不安定な尺度であるならば、少しだけでも「判断をしないこと」を日課に取り入れると良いのではと思うのです。

 

極端な例ですが、

「ダイエット中なのにご飯を食べすぎてしまった」

という場合、判断をすると、「なんて駄目な自分なんだろう。間違いをしてしまった」となります。

 

が、別にダイエット中にご飯を食べすぎてしまったからといって、それが全ての終わりではありません。

自分が判断をすることで、それが究極の悪のように思えてしまうのです。現象としては、「お腹いっぱいご飯が食べられた」という、どちらかというと善に近い気もする現象です。

 

この判断を少しストップさせる。

その判断の思考回路の代わりに、「観察する」という習慣を取り入れてみる。ただ、観察するだけです。

上記の例で言えば、

 

「あ〜。ご飯食べすぎてしまった……」

 

と思う自分を、ひたすら観察する。

これは禅や瞑想に近いものがあるかもしれません。

そういう観察の中で、判断をすることが少なくなり、結果としてざわざわすることが少なくなります。そして何より、「許せる」ようになるのです。

 

 

真ん中を行きれれば良いなと思うのです。

でも、ど真ん中じゃなくても良い。極端な正か偽じゃなく、二元論でもなく、ちょっと緩いくらいの日々の方が人間らしい気がするのですよね。現代人が忘れてしまっているものを、刺し子を通して学び、そして言葉にしていけたらと思うのです。

 

 

 

 

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